23日は、教会へクリスマス礼拝に。 クリスマスツリーの由来は、生贄を吊るした木らしい。 じゃあ、子羊とか子牛とか、木に吊るしてた訳ですね。 321年に、時の皇帝が冬至の日をクリスマス、 即ちイエスの誕生の日として定めた。 以来、旧暦からそのままに12月25日がクリスマスとして祝われるようになった。 それまでは冬至の日は、悪魔のいる日として恐れられていた。 昼よりも、夜が一番長い日だから。 それで何事も無いように生贄を捧げていた訳です。
大体、日本人がクリスマスはカップルの日、と言っているのが気に食わない。 貴様ら、殆どが仏教徒だろう。 葬式は仏式で挙げておきながら、クリスマスやらバレンタインは大騒ぎする。 いや、ハレとケとして考えればね、騒ぐのは大いに良いと思いますよ。 鬱積の累々とした日々を送るには、何処かで日常から逸脱しなければならない。 しかし、意味くらい考えてみようや。 バレンタインだって、聖バレンタインが恵まれない子供たちにお菓子をあげたから 祝われるようになったんだぜ? それをお菓子業界の人間が『恋人の日』とか何とか祭り上げただけの話で。
最近ふと、また考えるようになった。 無知であることと、知識者であることと、 果たしてどちらが幸せなのかしらと。 人間として生きるならば、知識者として苦しむ方が幸せだけれど、 無知である御目出度さや単純さは、生きていく上では重宝すべきだ。 あたしはまだ、その狭間をうろちょろしているけれど。 答えの出ない悩みほど、虚しく魅力的なものは無いな。
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