日記病者

For God so loved the world that He gave His only begotten Son,
that whoever believes in Him should not perish but have everlasting life.
John 3:16




2004年12月25日(土) キリスト者として

夕方、バイト前に時間があったので、コンビニで肉まんと豆乳を買った。
車の中で寂しく食べるかぁ、などと思い歩いていると、声を掛けられた。
振り向くと、浮浪者のような身なりをした男性が哀れっぽくこう言う。
「全国を○○のために(聞き取れなかった)歩いているのだが、300円もあればパンでも買いたい。100円でもいいのでもらえませんか」
少し考えて、やはりどうも胡散臭いと判断した私は、
「ごめんなさい」
と愛想笑いを浮かべて断った。
男性は肩を落として歩き出し、また別の女性に頼んでいた。

彼とすれ違って少し経ってから、ふと聖書の言葉を思い出した。
「小さきものにすることは、私にするのと同じことである」
とかいうイエスの言葉であった。
それを思い出した瞬間、私はキリスト者としての己を恥じた。
そして慌てて彼の姿を探したが、もう見つからなかった。

確かに金欠だけれど、100円くらいあげたってどってことないのに。
どうして私は悩める人に手を貸せなかったのだろう。
もし彼が本当に悪い人で、だまされたとしても、それはそれでよかった。
実践もなく、ただ信じる心だけで、何がキリスト者か、と大変悔しかった。
信仰って難しいね。


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東風 [MAIL]

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