夕方、バイト前に時間があったので、コンビニで肉まんと豆乳を買った。 車の中で寂しく食べるかぁ、などと思い歩いていると、声を掛けられた。 振り向くと、浮浪者のような身なりをした男性が哀れっぽくこう言う。 「全国を○○のために(聞き取れなかった)歩いているのだが、300円もあればパンでも買いたい。100円でもいいのでもらえませんか」 少し考えて、やはりどうも胡散臭いと判断した私は、 「ごめんなさい」 と愛想笑いを浮かべて断った。 男性は肩を落として歩き出し、また別の女性に頼んでいた。
彼とすれ違って少し経ってから、ふと聖書の言葉を思い出した。 「小さきものにすることは、私にするのと同じことである」 とかいうイエスの言葉であった。 それを思い出した瞬間、私はキリスト者としての己を恥じた。 そして慌てて彼の姿を探したが、もう見つからなかった。
確かに金欠だけれど、100円くらいあげたってどってことないのに。 どうして私は悩める人に手を貸せなかったのだろう。 もし彼が本当に悪い人で、だまされたとしても、それはそれでよかった。 実践もなく、ただ信じる心だけで、何がキリスト者か、と大変悔しかった。 信仰って難しいね。
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