憲 随 誌
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2004年01月29日(木) ��21  自他ともに

まだまだ寒い日が続いていますね。
ここのところ考えることが多いので、今日は少し硬い内容になります。

人間が本当に人間らしく生きることってどういうことだろう?
正しい人生というものがあるとすれば、どういう人生なのか?

こういうことを考えたことがある人は多いと思う。むしろ苦しい経験を沢山してきた人ほど、真剣に考えざるをえないことのように思う。
当たり前のことだけど、人は一人では生きて行けない。だからこそ、人との縁、つながり、結び付きをどう生かしより良いものにして行けるかが、とても大事になってくる。

人のために生きるということは? もちろん現実は甘くなく、人のためにと願って真っすぐ生きようとすれば、苦しくなることも多い。こんな世の中だから人に利用されるだけのこともある。
自分(の成長)を忘れて他人のために生きるというのは、恐らく偽善の類いだと思う。だから自己犠牲を前提にした「他者のための人生」はあり得ない。

逆にすべて自分のためだけに生きることは?「自分」というものをどうとらえるかにもよるけど、自分がこれでいいと思え、楽しめていれば、自分のために生きていくことはいいことだと思う。
ただ、それも一歩間違えれば自分をエゴの殻に閉じ込める恐れがある。ごく近い人間関係以外への関心が薄れ、ましてや誰もが願うような人類の平和も観念だけの話になる。結果として人間と人間の結び付きをますます弱めることにもなる。
自分のための人生、それを必要以上意識しすぎることは結局は、自分の可能性を自分で限定することになりはしないか。その範囲で頑張っている自分に満足する。それでもいいじゃん、と言われそうだけど、人の幸せや、よりよい人間関係を願えば願うほど、それも本当の自分ではないように思えてくる。

きっとどちらも本当の意味で正しい人生とは言えないような気がする。人のためだけの人生もあり得ないし、自分のためだけの人生も本来の自分ではない。どちらか両極端ではなく、「自他ともに」という考え方こそ必要なことではないか?

実際、人の役に立つことは自分にとって嬉しいものだし、人のために頑張ろうとすることの方が、もっと自分の力を引き出せるのではないかと思う。
むしろ、自分の成長のためにより積極的に人と関わっていく。人の幸せを願う行動が自分の殻を破り自分の可能性を大きく広げることになる。
その過程で、物事の本質をしっかり見つめ、人間性を否定する悪を見破りながら、どこまでも人間のもつ可能性を信じ尊重した振る舞いに徹していく。

それによる人間と人間との喜び合い、結び付きが、差異を乗り越えた連帯となり、現実の中で平和を築いていくことになる。

最近学んだこと、自分の生き方へのこれからの決意をこめた思考の記録を綴りました。観念もあり実際もまだまだ自己中な自分だけど、正直もっと変わりたいと思うし、また変われると信じています。


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