原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2000年03月15日(水) American Pie




★1・American Pie



よく考えてみたら、私にとってなんと感慨深いことが起きているのだろう!!



私が好きな「萩尾望都」に「11人いる!」で出会ってからまだ1、2年しか経たない頃、ふだん読んでいない雑誌に珍しく萩尾さんが漫画を載せた。確か前後編2回に分かれていたと思うが、掲載された頃には読んでいなかったので、詳しくは知らない。

(でも、もう一度考えてみると、最初に読んだのは、漫画雑誌サイズのB5だったような気がするんだけど……記憶をしっかりファイリングしていなかったので曖昧。悔しいっ)

それが、「アメリカン・パイ」というタイトルの作品だった。

たぶん、当時の萩尾さんとしてはちょっと「少女漫画寄り」の作品だったと思う。いや、何せ、あの頃の萩尾さん、それまで「少年漫画」しか知らなかった私が極めて自然に受け入れられるほど、逆にいえば「少女漫画らしくなかった」のだ。

でも、私は、「アメリカン・パイ」がすっかりお気に入りになってしまった。

何度も読み返した。

何度も泣いた。



ここで、ちょっと作品の内容を簡単に紹介しておこう(そういうの、私あまり上手ではないけど)。

マイアミに住んでいる「グラン・パ」(売れないバンドをやってる)のところに、ある日ふらふらと一人の子どもがやってきた。初めは男の子のように見えたが、実は女の子だった。それが「リュー」。ことばに少しフランスなまりがあるので、グラン・パは「カナダあたりから来たのかな?」と思いつつも、行くあてがないらしいリューをしばらく置いてやることにした。

リューは自分のことをグラン・パに何も話そうとしないが、時々ドン・マクリーンの「アメリカン・パイ」を口ずさむ。

そのうちに、リューも少しずつグラン・パやバンドのみんななんかともうちとけてきたが、やっぱり自分のことは何も言わないので、いっそのこと、と思ったグラン・パが歌ってみるように勧める。

リューはためらいながらも、故郷のボルドーのぶどう園の様子を、アドリブで歌い始める……。

ここから先は、興味のある人はできるだけ自分で読んでね。

私は、作品の内容を先に説明してしまって、却ってその「味」をぶち壊しにしてしまうのが、怖くて仕方ないの。



さて、この作品のタイトルでもあり、また作中にも何度も引用されている「アメリカン・パイ」。

どうやって知ったのか、自分でもわからないのだけれど、私はこの曲が実在している、ということを突き止めたのだ。

漫画が描かれるよりも数年前(確か1971年か72年、とレコードには書いてあったと思う)、アメリカ人のDon MacLeanという人が、A、B両面で1曲、という、とても長ーい曲を作ってシングルで出した。あ、それとも、アルバムが先でシングルカットが後だったのかな?

とにかく、そのAmerican Pieという曲は実在するのだ。

私はほとんど狂ったようにその曲の入ったレコードを探し、楽器屋さんに注文した。

割とマイナーな人だったのね。曲解説はされているのだけれども、訳詞がついていない。

私は一生懸命、自分で訳そうとしてみたが、なんだか俗語? 比喩? が多くて、そのまま言葉どおりに訳しても意味が分からない。

いつか訳そうと思って、当時つけていた日記、その名も「原案帳」に、全部書き写した。

それは、今、私の目の前にある。

装丁もこわれ、気をつけて扱わないとばらばらになってしまいそうな、100ページのノート。

その、正味3ページ分を費やして、この歌詞は手書きで書かれている(当然か。あっ、英文タイプを習ってたから、それでやってもよかったんだ! たしか……そうしようとも思ったけど、さすがに間違いが多すぎてリスキーだから止めたんだっけ)。



(話が逸れちゃうけど、同じノートにロシア文字をローマ字みたいに使って日本語表記する書き方で、自分が女になるっていうことを書いているところを発見した。わざわざ苦労してロシア文字を使ったのは、たとえ人が見ないノートでも、一目見て分かってしまう書き方をするのは憚られたからなんだよね。ああ、あの頃の気持ちが蘇る。やった、オピニオン出してもらうのに有力な手がかり発見!)



そういうわけで、私にとってはとても思い入れの深い曲だった。

そのうち、東京である女性とおつきあいした。

この人は私の心の中に「女」がいるっていうことをちゃんと知っていたらしく、ときどき私をそんなふうに扱うのだった。

彼女は英語に堪能で、アメリカへ留学したこともあった。

私とつきあうようになってから、ある年の暮れに彼女は再びアメリカへ旅行することになった。

私は彼女に、(当時何かの理由で聞けなかった)「American Pie」をお土産に買ってきてほしい、と頼んだ。

彼女は買ってきてくれた。

その彼女とは、今は決して会うことはできない。



こうして、思い出は更に重層になっていく。

そして……



え? マドンナが映画のテーマソングだかで「American Pie」を歌ってる?



そーなんだ、そういう時代になったんだ。

とっても感慨深い反面、マドンナほどの人が歌ってしまうということは、「American Pie」は「知るひとぞ知る」なんていう歌ではなく、「誰でも知っている歌」になってしまう、ということに、ため息の出るような「あっけらかん」さを感じてしまう。

もう、私一人のものではない……。

たぶん、これ、喜んでいいことなのだろう。



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