原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2003年12月31日(水) 過去のことにしたい話

DV加害者の性格・心理パターン http://plaza.rakuten.co.jp/principessa/007001
というページを見つけた。そこにはこんなことが書かれていた:

以下引用-----------------------

DV加害者の性格・心理パターン

必ずしもぴったりと当てはまるわけではないのですが、ある程度の性格傾向を示します。以下に紹介します。

�祇�別役割を当然と考えている
妻は家に居て、夫に黙って付き従うのが当然と考えています。
決定権が夫にあるものと思っていることの根拠がここにあります。
男女が対等であるなどという考えは全く理解しようとしません。
相手が女性というだけで、自分のほうが優位にあるという錯覚を起こしています。
ですから、「出来る女性」を見ると、「あんなのは女じゃない」と否定したがります。

�競僉璽肇福爾紡个垢覯畩蠅粉�待と過度の依存
自分の理想の女性像をパートナーに求めます。
そのイメージとパートナーが少しでも違っていると、パートナーを許せなくなってしまいます。
そして、そのギャップを埋められないことをパートナーのせいにします。
自分の無力さを、パートナーの「努力不足」のせいにします。
そして、そういうパートナーと一緒に居る自分が不幸者だと、勝手に被害者になろうとします。
自分が愛するように、またはそれ以上にパートナーも自分を愛することを求めます。
その愛情は、「自分が愛だと感じる」愛し方でないと、愛とは認めようとしません。

�啓仕平爾�
後で説明する支配欲・独占欲へとつながっていく感情です。
パートナーが他人と接触するだけで腹が立ってきます。
しかし、自分が他の女性と親しくすることに対してはなんとも思っていません。
嫉妬は、実は、人間関係の不安定さの証明です。疑心暗鬼になり、人間関係はうまく行きません。
この感情が、「身体的暴力」「心理的暴力」「社会的隔離」「性的暴力」につながっていきます。
ここで大事なことは、「嫉妬心」と「愛情」は全く別のものだということです。
暴力にさらされていると、ここのところが麻痺してきます。
このことをぜひ覚えておいてください。

�源拉柩漾ζ叛衢�
暴力夫の大半は、家庭の安全が保たれているのは、自分のおかげだと思っています。
そして、これからもその安全を守るのは、男であり、一家の大黒柱である自分自身だと思いこんでいます。
また、この様に思うことが家族への愛情だと本気で思っています。
このため、家のことに口を出されると、それだけで激怒します。
なぜなら、家庭内での主導権が脅かされると感じてしまうためです。

�洪牲于疉劼能�つきやすい
あれほどの身体的暴力や心理的暴力、言葉の暴力を振るう男性も、びっくりするほど傷つきやすい心の持ち主です。
自分を傷つける言葉には非常に敏感です。
また、傷つけられると、今度はその感情に対して押さえが利かなくなります。
感情のコントロールの欠如(コントロール障害)している彼らの怒りは尋常ではありません。
DVによって死者が出るほどですから、そのコントロール欠如については理解していただけることでしょう。
特に厄介なのは、いらいらしているときは、誰が何をしても、誰も何もしなくても、気に入らなくて怒りが表出する点です。

�再睚朷弔粒庵和�
多くのDV男性は、会社では仕事熱心であったり、信望の厚い人物であったり、有能な人材であったりします。
地域でも、温厚で人柄がよく、面倒見の良いパパさんという評価をされています。
ところが、家の中では態度が一変するのです。
これでは、パートナーは1日中ずっと夫のご機嫌伺いをしていなくてはなりません・・・

セックスについて
DV男性は、性行為によって自分の支配関係を確認しています。
自分の望むセックスプレイを強要し、それに黙って従う相手に対しては、征服感と安心感に満たされます。
しかし、それを嫌がる相手に対しては、それだけで自分に対する愛情が無いと決め付けます。
そして、そのプレイの恥辱度と、自分への愛情を比例させて考えます。つまり、自分の要求するどんな行為も受け入れる女性は、自分のことを深く愛し てくれているということになるのです。
また、自分が暴力を振るった後で、性行為を求める男性が数多くいます。
ここで、女性が性行為を受け入れると、男性は、自分のした行為すべて(暴力も含めて)が許された証拠だと錯覚します。
女性からすれば、性行為を受け入れなければまた暴力を振るわれるからという場合がほとんどですが(こうなると家庭内レイプです)、男性側にはその 自覚が全くありません。

自分の犯した暴力行為について
DV男性の多くは、自分の犯してきた暴力行為に対して、全く無自覚です。
それは、前述してきた様々な要素によるからなのですが、だからこそ、暴力を振るう男性は、変わることは出来ないのです。
パートナーに逃げられても、また新しい女性と暮らし、その暮らしのなかで暴力を繰り返すことになるでしょう。

だからこそ、DVの渦中から脱出しなければならないのです。

-----------------------以上引用


……で、これを読んで、わたしは自分に当てはめて考えてみた。

�祇�別役割を当然と考えている
> 妻は家に居て、夫に黙って付き従うのが当然と考えています。
……
> ですから、「出来る女性」を見ると、「あんなのは女じゃない」と否定したがります。


ある面で、全く当てはまらない。
わたしはわたしのパートナーがしっかりした職業を持っていて、自分より収入も多いということを好ましいことだとしか思ってはいなかった。
それはそれで問題があるようにも思うけど。
ただ、ある面では当てはまるかも。
というのは、わたしは彼女よりも仕事・生活、全ての面で劣っていたので、自分のことを「女性以下」だと思っていたのだけれど、それってもしかしたら「男>女>自分」という、男女差別的な価値観に基づく価値判断だったのではないか、という気がするから。
うーん、でも、パートナー以外の女性を見ても仕事ができる女性は素晴らしいと思っていたし、たぶん女性のほうが男性に任せておくよりもずっと優秀だとも思っていた。
そうして、自分は「ちゃんと女に戻れば今よりもっと能力を発揮したり人格的に成長したりできる」とも思っていた。
いったい、どれが本当の自分の価値判断だったのだろう?
振り返ってみて「DV加害」としか思えないようなことをしていた時期にも、上のように考えていた。
決して「後から考えを変えた」のではない。
むしろ、パートナーや彼女の両親、それに職場から「性役割」について(差別的な)厳しさを求められていて、それが嫌になってしまった、というのが本当のところだ。

�競僉璽肇福爾紡个垢覯畩蠅粉�待と過度の依存
> 自分の理想の女性像をパートナーに求めます。
> そのイメージとパートナーが少しでも違っていると、パートナーを許せなくなってしまいます。


これはなかった。でも

> 自分の無力さを、パートナーの「努力不足」のせいにします。
> そして、そういうパートナーと一緒に居る自分が不幸者だと、勝手に被害者になろうとします。
> 自分が愛するように、またはそれ以上にパートナーも自分を愛することを求めます。


これは言えてるかも。ただし

> その愛情は、「自分が愛だと感じる」愛し方でないと、愛とは認めようとしません。

これは「????」。激しく疑問。

�啓仕平爾�
> パートナーが他人と接触するだけで腹が立ってきます。
> しかし、自分が他の女性と親しくすることに対してはなんとも思っていません。


こんなふうに考えたことはなかった。
確かにわたしは「浮気」してしまったことがあった。
相手から篭絡される、というようなかたちで。
でも、わたしにわからないようになら、彼女だって浮気してもいい、(だってわたしがしてしまったんだから)とは思っていた。
今思うと、なんて幼稚な考え方だったのだろう、と思うけど。
わたしは、自分がした浮気について、「だから男でいるとろくな目にあわない」と思った。
それ以後、わたしは一切の女性と恋愛なんか絶対しない、と誓った。
それまでだって彼女のことだけ愛していると思っていたのに、それじゃあ足りないんだ、と思ったから。
いつのまにか、パートナーのことも愛せなくなっていた。

> 嫉妬は、実は、人間関係の不安定さの証明です。疑心暗鬼になり、人間関係はうまく行きません。
> この感情が、「身体的暴力」「心理的暴力」「社会的隔離」「性的暴力」につながっていきます。
> ここで大事なことは、「嫉妬心」と「愛情」は全く別のものだということです。


これは、思い当たるところがある。
でも、わたし自身は自分の「嫉妬」と「愛情」をごっちゃにしたことはない。
嫉妬で苦しい気持ちになっているのを愛情だなんて思ったことはない。

> 暴力にさらされていると、ここのところが麻痺してきます。
> このことをぜひ覚えておいてください。


彼女はたぶん「わかっています。余計なお世話」と言うだろう。

�源拉柩漾ζ叛衢�
> 暴力夫の大半は、家庭の安全が保たれているのは、自分のおかげだと思っています。

これは全く当てはまらない。
典型的な「家父長主義」だと思うし、自分がDVやっていた頃にもそういうタイプの男性を見ると「気持ち悪い」と思ってしまっていた。

> なぜなら、家庭内での主導権が脅かされると感じてしまうためです。

主導権を彼女が握っているのは大歓迎だった。
この、DVの原動力としていちばん肝心のはずの「支配欲・独占欲」が、どうもわたしにとっては「他人事」としか思えないのだ。

�洪牲于疉劼能�つきやすい
> あれほどの身体的暴力や心理的暴力、言葉の暴力を振るう男性も、びっくりするほど傷つきやすい心の持ち主です。
> 自分を傷つける言葉には非常に敏感です。
> また、傷つけられると、今度はその感情に対して押さえが利かなくなります。
……(以下略)


これは、全面的に当てはまる。
問題は、「びっくりするほど傷つきやすい心」をまともに表現できず、結局「暴力」でしか表せなくなってしまう、ということだ。
悲劇はここから始まる。
被害者や周囲からは「びっくり」されているのに、加害者側にとっては「傷ついたから暴力に走る」という構造になっているとしか感じられない。
つまり、順番が逆なのだ。
自分の苦しみを誰一人理解してくれないどころか、いちばん痛いところを更にえぐるように傷つけてくる。
もちろん、それに対して「暴力」なんて幼稚なやり方でいくら表現したところで、更に誰も理解してくれなくなってしまうだけなのだが。

�再睚朷弔粒庵和�
> 多くのDV男性は、会社では仕事熱心であったり、信望の厚い人物であったり、有能な人材であったりします。
> 地域でも、温厚で人柄がよく、面倒見の良いパパさんという評価をされています。
> ところが、家の中では態度が一変するのです。
> これでは、パートナーは1日中ずっと夫のご機嫌伺いをしていなくてはなりません・・・


これは自覚がないけれど、DV末期にはこんな感じだったような気がするなぁ……(涙

セックスについて
> DV男性は、性行為によって自分の支配関係を確認しています。

気持ち悪い。理解できない。
これは、書いている人の個人的な体験を一般化しているだけなのではないか。
強いて言えば、わたし(とパートナー)の場合、相手がわたしに対して「支配的なセックスを要求してきた」ように感じるだけだ。
それとも、こんなふうに感じるわたしがおかしいのか。
おかしい? どういう意味で? 「典型的なDV男性」と比べて「おかしい」?
もしもそうだとしたら、それはとても幸いなことだ。

自分の犯した暴力行為について
> DV男性の多くは、自分の犯してきた暴力行為に対して、全く無自覚です。
> それは、前述してきた様々な要素によるからなのですが、だからこそ、暴力を振るう男性は、変わることは出来ないのです。
> パートナーに逃げられても、また新しい女性と暮らし、その暮らしのなかで暴力を繰り返すことになるでしょう。


初めは無自覚でも、自力で自覚できる男性もいる。
なぜそれを躍起になって否定したがるのだろうか。
被害者側の人々の論調は、ともすればこんな感じになりやすいけれど、それってもしかしたら「共依存」?
「相手が全面的に悪い、だからいつまでたっても相手は変わらない」と言いながら、相手の暴力傾向を煽って相手が「変わらない」ことを確認することで、実は「だから自分と相手が失敗したのは相手が決定的に悪いからだ」という決め付けを固定したいだけなのではないか。

わたしはそんな、何もかも人のせいにするような共依存的な「弱い女」になりたくはない。
それはある意味、加害者の「男」と「同じ穴の狢」だ。
わたしは、弱くてみみっちい「男」でいるよりも、強くなりたいからこそ「女に戻った」のだ。

……というわけで、わたしは既存の「DV加害者男性像」にはとても違和感を感じることが多いし、加害者の多様性を無視してステレオタイプにはめ込むようなやり方でしかDVに対応できないとしたら、それはとても危険なことだと思うのだった。

ただ、最後にひとこと付け加えると、上のような(やや決め付けはあるものの)「パターン」の理解によって、被害者が見失っている自分の置かれている不当な状況を自覚することはできるかもしれない。
確かに、暴力をふるわれても「これがこの人の愛情表現なんだ」と思い込むことで、なんとか現状を変えないままにしようと思わされている被害者は多いだろうから。

はぁ。
もしかしたら、DVにも「マジョリティ」と「マイノリティ」があるのかもしれないね。
そういう意味では、わたしはマジョリティじゃなくて良かった。
自覚はできていなかったけれど、けっきょくは暴力の温床になっている「家庭」という環境を解消して、暴力そのものから離れることができたのだから。


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