- 2006年11月15日(水) いじめについて
“金八先生”と石原都知事のアドバイスに異論
(「Livedoor News - PJオピニオン」より)
……を読んで、はじめは「そんなこと言ったって」という気がしていた。
正直言って、このところの「いじめと自殺」の報道は過剰だと思う。
あんなふうにニュースで取り上げ、いじめにあって自殺した子をあんなに「ちやほや」してしまったら、たとえばわたしが小学生だったら
「そうか。自殺すればあんなに有名になれて、あんなにみんなが悲しんでくれるんだ。自分の正しさも証明されるんだ」
などと考えて、「マネ」してしまうかもしれない。
「隠せ」とは言わないけれど、ここまで「ちやほや」するのはどうかなあ、と感じる。
ただ、それじゃあ武田鉄矢が言うように「いじめられる方が問題」と捉えればいいか、といえば、それはどうか。
「問題」が発覚するのを恐れて、「隠す」子どもが増えてしまう。
これでは問題は解決しない。
石原氏は論外。
あんな不見識で都知事なんかやってられること自体が「21世紀の七不思議」だと思う。
後の方まで読んでいって、やっと共感した。
>逆説的だが、親にすぐ泣きつく“弱さ”をもっているほうが、いじめに対しては“強い”といえまいか。
というのがいちばん説得力のある解決策だと思う。
泣きついた時に、我が子に対する「いじめ」が本当に不当なものかどうかを見極めるだけの力が、今度は親に問われるかもしれない。
でも、大人なんだし、いじめられている本人じゃないんだし、親ならちっとは客観的に見て判断できる要素が大きいのではないか。
……まあ、その「大人」が、いちばん問題だとも思うけど。
子どもは大人の鏡だ。
大人が抱えている問題を、良かれ悪しかれとてもはっきりしたかたちで「表面化」させてくれる。
ほら、ちょうど「裸の王様」のジレンマに穴を開けてしまった、あの子どものように。
いじめられて誰にも言えずに自殺してしまう子どもの問題の背後には、言ってもちゃんと聞いてくれない、聞いてもちゃんとした反応を返せない、大人の問題が大きいように思えてならない。
何か人間関係で問題が起きるとすぐに「いじめ」になってしまう「子ども社会」のあり方も、大人どうしの人間関係が硬直していることを反映しているように思える。
もちろん、他人事なんかじゃなく、自分も含めての話だ。
(こういう話題で「自分」を抜きにして悪い意味で「評論家」ぶって語る人を、わたしは信用しない)
子どもたちの文字通り「命をかけた」訴えに、わたしたちは答えることができるのだろうか。
あ、なんかちらっと頭を「アサーティブ」という言葉がよぎった。