---□□草原で独り言□□---

2002年06月17日(月) 私の親友

久々に駅で友達に会いました。
幼馴染の子です。
私の親友の1人。
すごくさめたようにみえて、細く長く切れない仲です。
小さい頃は共に、バスケ命でよく遊んでました。
小3のころなんて、庭にバスケットのゴールまでたってました(笑
小4か5の頃、私は合唱部のほうにのめりこんでいったので、
バスケは止めてしまいましたが。
1人でスイミングスクールに2年くらい通ったし。
でも、クラスが同じだったので一緒に通学したり、遊んだりしました。

中学に行って、私たちは真っ二つに道がわかれた。
その子は運動系のバスケ、私は文化系で音楽。
私達は普段、一緒にいるということも、一緒に通学することもなくなった。
だってその子は朝練で、7:00に家出たし、
それに比べて私は早くても7:30だった。
特別話すことも無くなった。
私は私のいつもいる友達がいたし、その子にもいた。
その子は、その友達に離婚した母親についての話もしていたらしい。
だけど、私もその子もお互い口に出さずに、親友だと思っていると思う。
少なくとも、細く長く絶対に切れない友達の縁がある。
思うというより、変な確信がある。
これが幼馴染の感覚なのかな。

そう。私達は小さい頃から、そんな感じだったから。

小学校1・2年の頃、その子の母親は家を出て行った。
私は知っている、そのおばさんはすごく優しくて綺麗なおばさんだった。
・・・そして、気づいたときには、もういなくなっていた。
お母さんに尋ねた「おばちゃんはどこにいったの?」
けれどその質問に離婚したとはいわなかった。
私が小さかったからだろう。

何だか胸が痛かった。
「どうおもってるのかな」
と、お互いに「親友だよね」と言い合っていたその子のことを思ったら、
・・・悲しくなった。
だから、私はそのことを聞かなかった。
慰め方を知らなかったからかも知れないし、
かえってきづつけると思ったからなのかはわからない。
でも、親友だからと言って、
反対にすべてを聞こうとしたり、全てを言う必要はないと思った。
そして、今日の今までそのことを話したことはない。

親友だからと思って、まるでその証だといわんばかりに
自己満足のために相手をなぐさめたり、
一大事をともにすごそうというおせっかいはいらないと思う。
いわゆる、「二人なら悲しみは半分」ということ。
相手がそれを望むならば、とてもいいことだと思うけれど、
悲しみってそんなものばかりじゃないと思いませんか?
1人で黙々と悲しみたいことだってあるはず。

その時、そんなところまでは考えていなかったけれどもね。

必要なときに、必要な距離のところにいられればそれが十分だと思う。
自分が親友でありたいために、まるでその証明が欲しいように
常に相手と一緒にべったりくっついていればいいというわけじゃないと思う。
もちろん、相手がそばにいて欲しいと思っているならば、
ずっと一緒にいてあげるのがいいと思うけれど。

だから、私とその子は親友だけれど、
メールをちょくちょくしているわけでも、
秘密なんかなくて、何でも話すというものでもない。

いつだったか、中学2年のときだったかな。
二人でゲームセンターに行ったとき、
友達相性オーラ占いというのをやったことがある。
個人的に結構あたると思っていた占い。ちなみに一回400円なり。
それで出た相性98パーセントという診断のなかに、
まさに私達の関係を一言であらわしたものがある。

その一言とは

「つかず、はなれず」


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S.Soraka [MAIL]