---□□草原で独り言□□---

2004年05月27日(木) 気づいていない、夢

今日授業の音楽史の時間に、オペラをスクリーンで見た。
その時に、私は何だかふと「ああ、私は音大にいるんだ」と思った。

中学生の頃。
心に「音大」っていうものを片隅に知った頃、
それは、とおい雲の上の、どんなに背伸びをしても、何をしても手のとどかない・・・
そんな印象であって。そして、夢だった。
私の夢は音大にいくことだった。
それは宇宙にあるかのように、スケールの大きい、遠い存在だった。
想像やら空想が得意な私でさえ、私が音大にいる場面は想像できなかった。
「音大に行けるのなら、長生きできなくていい」
そんなことすらも思った。
いや、今はせめて日本平均寿命くらいまでは生きていたいと思いますが(笑)

あの頃、あんなにも遠くに感じていた夢が、
今目の前にある。私はここにいる。
そう思ったら、私は幸せ者だと胸があつくなった。
家族や、たくさんの人に、感謝した。



私たちは、夢とか、憧れとか、希望とか、願いを持っていて。
それが現実になるのを、望んでる。
人は夢を抱く。このことは誰もが知っている。
だけど、願いがかなった後、どうするのだろうか?って、
実はあまり考えたこと無い。

誰もがそうでしょう?
夢がかなった後、それから人はそれをどう感じるようになるんだろう?

小さい頃、私はお店でアメを一袋買うだけで、どきどきしてた。
自分のお財布から、お金をだして、自分だけのアメを手に入れて、
それが1個じゃなくて、1袋もあるからワクワクして。
小さな、だけど、その頃の私には、それが夢だった。

中学生の時、電車にのって学校に行く高校生が大人に見えた。
私も、高校に受かったら毎日電車に乗って行くんだ!と思って、おどろいた。
定期を持ってる自分を想像したら、楽しかった。

でも、今は、その夢たちは当たりまえの光景になってる。
まぁ、電車通学は今はしてませんけどね(^o^;
夢はかなった後、自分の一部のようにあって当たりまえになる。
一度つかんだ夢の、心のときめきを忘れてしまう。

私たちは、自分が時々不幸に思えたり、みじめに思えたりするけれど、
ふと自分のにぎりしめていた手を、そっとひらいてみる。
そうしたら、そこには、
かなえたことすら覚えていなかったり、気づいていなかった夢がある。

私は、手の中ににぎしめている夢や願いに、感謝する心を忘れたくない。
今日、あらためてそう思った。
私は、その気持ちを忘れない限り、幸せはずっとここにあると思うから。


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S.Soraka [MAIL]