---□□草原で独り言□□---

2005年11月24日(木) 意地っぱりで 見栄っぱりで

私は本当に意地っぱりで 見栄っぱりで
どうしようもないくらい、自分を何かに確立したくて
あいまいな人になるのが嫌で 何かをできる人になりたくて。
人に見下されるのが大嫌いで。
見下されるような自分が大嫌いで。
自分の決めた意志に突き進める自分が好きで。

誰かの上に立ちたいんじゃない。
見下されるのが嫌で。
これはやっぱり見栄だろうか?
誰にだってそういう気持ちはあるんだろうけれど。

私だって、それに耐えられないわけじゃないだ。
ただそれは自分に、何かひとつ取柄があると思えるからで。
何一つ、本気で挑めるものも、できることも、自信もなかったなら
耐えられないのかもしれない。


でも不安になる。
「これをこの程度できることを”取柄”と言えるのか?
 これを自信と呼べるほど、私はそれをできるのか?」

私の周りにはそれをできる人たちがたくさんいて。
私はどんどん、不安になってくる。
「できるようになるだろうか?」
「私に足りないものを、これから得ていくことができるだろうか?」

できない人だと見られたくない。
私の唯一の柱を折られたくない。

意地をはって、見栄をはって、
どうにか自分の位置を守ろうとして。

そうして、
また不安になるくせに。
できないくせに、できるように振舞う醜い人だな
と思われたのではないかって、後悔するくせに。

不安になりたくなくて、自ら発する言葉で
またそれによって不安になってゆく。
本当に馬鹿だ。
自分を大きく見せるための意地や、見栄なんて本当に意味の無いことだ。
いいや、意味が無いどころか、
そうすることで、より醜くて愚かに見られてしまうのに。
そして、自分の心に余計に嫌気がさしてしまうのに。

柱は自分の心のなかで、自分を支えていれば十分なんだ。
その柱がいかに立派か、いかに太いのかだなんて、
誰かに誇示したり、見せたり、自慢したりするもんじゃない。
そんなことをするうちは、まだ柱が成長してない証拠だ。
できないことがあるなら、それを認める。
わざわざ見栄えはったりしないで、認めるんだ。
そうして努力すればいい。
そうすることでしか、柱は大きくなってはくれない。
私の自信にはなってくれない。




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S.Soraka [MAIL]