| 2006年10月29日(日) |
覚えようともしなかったこと |
自転車をこぐ、寄り道もせずアパートへ。 時刻は夕方なのに、もう月が夜空に浮いてる。 目玉焼きの黄身みたいだ。
夕方の夜、6時前。空気が冷たい。 中学のときも、高校のときも、 部活が終わって学校を出ると秋はいつもこうだった
今の空気なのに、 光景や、温度や、においや、明るさが似ていて 昔の気持ちを思い出す。 本当にとりとめもないことだけど。 よく週末に車で市街地のデパートに行って買い物したなぁとか、 でも別に服が欲しいとか、買いたい物があったわけじゃなくて 100円のおもちゃのついたお菓子を買ってもらえることとか、 たまにゲームしてもいいよって3百円くらいもらえたりとか そういうことが楽しみだったんだよなぁとか。 行きはお昼前の陽射しが差し込む車の中で、 はつらつとしながらワックワク嬉しくて、 帰りはちょっとだけオレンジ色になりつつある太陽。 私や妹は車の中ですっかり寝てた。 たまによだれこぼしてた。たっまぁーに!
あれ、ところでゲームしていいぞっなんて3百円ももらえたっけ? もっと少なかったかな…うーんどうだったか…
ふと思い出す、昔の普段の記憶。 当たり前のように思い出しているくせに、 あらためて記憶を確認しようとすると「んー?」ってことがある。 そりゃそうだ。 あの頃の私が、「毎日のすべてを記憶しよう!」なんて意気込んでたわけでもない。 せめて小学校の『毎日の記録』みたいな宿題を ちゃーんとかかさず書いていたなら、もらった金額を今でも暗記してたかな。 当然、今の私だって普段の小さな出来事を いちいち記憶しようとなんてしっこないし、 昨日感じたちょっとした嬉しかったことや、楽しかったことも 一週間もすれば、わざわざ記憶から引っ張り出して 「あ〜、7日前のあの時は楽しかったぁー」なんて思うことはない。 嬉しいことも、楽しいことも、 素朴で、繰り返されるほど、覚えようとはされない。 初めてのときはすっごく喜んだはずのことも、 当たり前になるにつれて、覚えようとはされないんだ。 普段になってしまうというのか。 毎回、毎回、喜んでいたことは確かなのに。 そして、そのうち、 そんなことがあったことも忘れていく。 いや、「忘れていく」とはちょっと違う。 言い方に迷う…もともと覚えようともしなかったことなのだから… 「意識されずに終わっていく」? 「意識されないうちに普段になってしまう」? 「とくべつ幸せを認識する前に普段になってしまう」? …なんて言えばいいんだろう。
昔の普段の私は、 おもちゃ付の100円お菓子をひとつ買ってもらっただけですっごく嬉しかった。 それが欲しくて、一生懸命ねだったこともあるはず。 今の普段の私は財布のなかに何千円もいれて、 アパートを出ればすぐそこにコンビニ、 ジュースやパンを買う。お菓子だってチョイッとレジにもっていく。 覚えようともされない普段を毎日つみかさねてきただけなのに いつのまにか、普段っていうのはすごく変化している。 きっと何年という単位で…いえ、変わり目なんてきっとない 自分が喜ぶことも楽しむことも変わってきている。 毎日が普通にすぎていく。 何もなく終わったように思える日もある。 でもいつのまにか当たり前になっているだけで 記憶されない「今の普段の私」の毎日に、 「昔の普段の私」がすっごく喜んでいたことがたくさんあるんだろう。 昨日や、おとといや、今日の朝だって、 たくさん楽しいことや、嬉しいことがあったのかもしれない。 ただ、覚えていないだけで。 いつしか普段になっていて、覚えようともしないだけで。
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