気付けば、いつのまにか図に乗っていた。 「こう在ることがよい。そして、それを実現しているから私は良い人間だ」 と思っていた。 迷惑かけたり、人に不快感をいだかせるような言葉だって吐いたりしない。 そういう人間だから、周りより賢いと思っていた。出来た人間だと思っていたんだ。私は、私を良い人間だと思い、周りの人達の短所を見つけた途端、寛容なフリをして上から見下していたんだ。
私は「褒められる人間」であろうとしていただけだったのか? 「私がこう在るのが良いと思った姿」=「褒められる素晴らしい人間像」 だと認識していたのに。
今日 「君は(『私がこう在るのが良いと思った姿』)だね」 といわれた。 だって私はそうなりたいと願っている。そうなろうと努力している。 内心、得意になった。認められたんだと思った。 「そういう風でない人もいるんだ。」 そういう人は良くないと思う。
しかし
「君をほめたつもりや、励ましたつもりはなく。 ただなんとなくそう思っただけだ」
瞬間。 とてつもない焦りを感じた。 ほめられたように感じて、喜んだ自分が、ひたすら子供に思えた。 心の中で天狗になっていたことがばれないように、 私はフォローに必死になった。 冷静なフリをした。 「別にほめられたと感じたワケではない。」 「別に喜んだわけではない。」 そう思われるような態度をした。 ひたすら冷静に、事実だけを見る客観的なフリをした。 内心を恥ずかしさと、慌てでいっぱいにしながら。
あの大人はただ事実を言ったまでだったんだ。 その言葉の中には客観的に見た事実があるだけで、 あの人自身の主観的な気持ちは入っていない。 「ほめる」とか「認める」とか、そんな意図ではない。
勝手に、私が喜んだだけだった。 《私とこの人は仲良しだ。 ほめられることはあっても、けなされることはない。》 そう無意識に都合よく思っていたから、 あの言葉を、私は都合よく「ほめられた」のだと抵抗無く感じたんだ。
醜いじゃないか。
自分が思う理想が、すべて正しいのだと思い込んでいたことも、 その理想を実現すれば他人に嫌われることはないのだと思い込んでいたことも、 私が考える理想どおりでない人を見下していたことも。
「あぁ、そんな行動をしてしまってはいけない。良くない人だ。 しかし私は寛容だから、それを見逃すのさ。 寛容であるのは美しいことだ。」
そう思っていたんだ。 そう思っていたんだ。 笑いながら、そう思っていたんだ。
醜い。 醜いじゃないか。汚いじゃないか。愚かじゃないか。
図に乗るな。 私などなにも知らない人間で、 なにも経験など無くて、甘えてくらしていて、 自分にも甘くて、考えているからという理由で自分を許している。 汗をながさずに自分を許している、 そんな弱い人間のくせに。 卑怯な人間のくせに。
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