ふつうっぽい日記
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2002年01月18日(金) かぼす茶物語

私は漬け物やお茶が好きな人間である。とはいっても、「こうでないとだめ」だとかいうこだわりがあったりとか「知識が豊富」という訳でもない。

焼肉を食べる時はキムチが進む、というのが分かる人間っていうのかしら。キムチは成人してビールが飲めるようになってから(一応、真面目な表現で書く)美味しさが分かったと思う。「いかめんたい」や「ワサビ風味」がまた、お酒を進めることにもどんどん気付いていった。また、それらは炊きたての温かいご飯とマッチすることも自分なりにつかんでいった。

二十歳になったかならないか?の時に私はアルバイトとして家庭教師を始めた。名門とかいう大学ではなかったし、学力に自信があった訳でもなかったので、決まったテキストを進めるタイプの家庭教師派遣会社に登録した。大学に近い場所ではなくて、どちらかというと自宅に近いような場所を紹介された。私が住んでいたところは、何年か前に市に昇格したがそれまでは○○郡というのに属しており、当然のことながら○○郡にはいくつかの町があった。派遣会社はどちらかというと、大学に近いところ(つまり、都会)にあり、私が○○郡に住んでいることを知ると一気に3件くらい紹介してきた。
つまり、○○郡をフォローする学生(先生)が少ないようだった。しかし、同じ○○郡といっても、移動距離はある電車沿線の端から端までで、1日に回れ!といわれたら身がもたないのであった。現実は、1日に2件回れという指令はなかったのだが。3件の内の一件がわりと家に近い場所だった。なんとその時の生徒とは今でも交流しているのだった。そういう彼女も今や結婚適齢期になっており、今さら「KAZUさん」と言うのも恥ずかしいのか(?)私は今でも「先生」と呼ばれている。彼女には結婚式でドッキリスピーチ(その日に指名され、何か言わないといけない)をしてもらった。

彼女の実家は釣り具屋を営んでおり、家も海の近くだった。暖かい夏の頃は、カニが部屋まで侵入していて、驚かされたものだった。一番長く面倒を見た生徒だったと思う。公立高校に合格したのもとくに家庭教師がついていたからとは言えない(つまり、彼女が要領がよかった、気力があった)と私は今でも思っているのだが、親御さん(母親)がわざわざ私の自宅まで泣きながら「ありがとうございます」とお礼に来た姿は今でも忘れない。たしか、二十歳の成人祝い(ジュエリーボックス)もちょっとしたものをちゃっかりいただいたのだった。だから、繋いでいる人間関係というのではない。

「家庭教師の時間」が終わると「ちょっとしたお茶タイム」をたいがいの家で出してくれた。これは、とくに決まりがある訳ではないのだが、私は素直に出されたケーキやお菓子や、ときには「焼きおにぎり」を遠慮せずにたいらげ、お茶もある時はおかわりをして「ちょっとしたお茶タイム」を時には生徒と時には母親も交えて満喫していた。もしかしたら私はそれを励みに通っていたのか?(笑)

今でも付き合いのある彼女の家では美味しいお茶がふるまわれた。それは一見ただの緑茶っぽいのだがちゃんと風味があった。おせじやツッコミが苦手な私でも「このお茶美味しい!!」と言った。このお茶が「かぼす茶」だったのだ。何度かそのお茶の素をいただき、家でも「かぼす茶」を楽しんだひとときも今思い出す。


KAZU |MAIL