ふつうっぽい日記
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2004年07月16日(金) 親子、そして職業

私は親ではないが、子である(当たり前)

親子の姿ですごいなぁと思うことがある。
自営業をしてたりするのを、その継ぐ子どもたち。
また、親が医者で、その姿をみて、僕も私もなるという姿。

「平凡な家庭」というと、父親が会社員で、母親は専業主婦かパート。そして、2人くらいの子どもの姿。
父親が会社員だから、その姿をみて、僕も私もっていうのはあまりないかもしれない。結果として、とりあえずとしてそうなっているとしても。
ドラマの見すぎかもしれないが、「お父さんみたいなサラリーマンにだけはなりたくない」とか「ただのOLじゃつまんない」とかの声の方が“ふつう”に感じたりする。

働き始めてすぐの頃、専業主婦だった母親に「お母さんは働いたことがないから、そんなことがいえるの!」なんて何かの時に言った記憶がある。
それに対する母の反応は「お母さんだって、結婚する前は会社勤めしてたのよー!」と熱くなっていた。
「そうだったんだ…」私は純粋で、母の結婚する前の仕事とか、そういうのはまったく想像できてなかった。
それがあって母の若き日のアルバムを盗み見したか、母が見せてくれたのかは忘れたが、会社勤め時代の写真を見たりして、「本当に、そうだったんだー」と記憶に刻んだものだった。


そう考えると、結構小さい頃から保育園に預けられたという友達などは、働く親の姿を小さな頃から刻んでいるわけだから、職業に対する執着や夢は、そうでない人間よりも具体的なのかもしれない。

いつかの日記にも触れたと思うけど、「薬剤師になりたいのー」という友達にはかなり尊敬をもった。そのとき、薬剤師がどういう仕事であるかなんてほとんど知らなかったから。「薬屋のおばちゃん」は、ちゃんと知識、資格を持った薬剤師なのだ。

とはいえ、私にもある職業への夢は持っていた。動機はおかしいけど。
「お母さんは、長崎大学の教育学部を受験したけど、ダメだったの。まぁ、家が貧乏だったからね。小学校の先生になりたかったのね。」と。
それは私が小学校高学年くらいの時に聞いたような記憶だ。
それまでは、ピアノのレッスンのひとときが苦痛だったくせに「ピアノの先生になりたい」とか「ピアニストになりたい」とか周りには言っていた。
中学で進路を決める時に「小学校の先生になりたい」と担任に言うと、「だったら君は先生(国語)と同じ文系だな」と言われ、小学校の先生になるためには文系というコースなのだ、自分に言い聞かせた。
中学の頃、私は国語、社会よりも数学、理科が結構好きだったし、成績もよかった。でも、夢をかなえるためには文系なのだと思い込ませた。
やがて、高校に入学し、2年次は文系クラスに進み、3年次は国立文系クラスを選択した。
大学選択の時、小学校教員免許のほかに専門の教科で中学、高校の教員免許が取れることに気づいた…
好きな数学、理科を追求しつつも、小学校教員免許も取れるものだったのかー。別に文系じゃなくても、いいんじゃんかー。先生のウソツキ〜!
幸い、私立であったが、児童教育学科で小学校免許の取れる大学に現役合格した。そこは、幼稚園免許も選択で取れる学科だった。ここでも「取れるもんなら取っておいたら?」という声に、流され、憂鬱な実習も修了させた。がんばったよ、私。
小学校の実習は期待していたことであっただけに、苦しいこともあったけど、有意義だった。実習は出身校に行けるというのもポイントだった。
国立の教育学部では、付属の小学校実習が主流だったから。
今でも強く覚えているのは、午後6時過ぎくらいにしていた音楽室でのピアノ(グランドピアノ)の練習(教材研究)
外は暗くなっていって、ちょっとさびしくなってきたけど、運動場を窓から覗くと野球とかサッカーをやっている子どもたちがいて、手をふってくれたりして。実習生は学校で1人だったから、どの学年の教室に行っても珍しがられ、歓迎された。3年生の昼休みのドッジボールに飛び入り参加して、ひっぱりだこだったっけ。配属は5年生(5の3)で、6年生は1学年しか違うけど、大人に思えた。
若さゆえ〜♪
ちょっと内気で大人しそうな40歳くらいの女性の先生から「KAZU先生はすごいですよ。私にはできない…あんな全校児童の前での挨拶」と言われたこともあった。
子どもっていうのは、純粋で、「おはようございます」というと、40%くらいの声量で一発目は返事を戻してくるんだけど、「あれ?○○小のみなさんは200人くらいしかいないのかな?もう一回行くよ〜おはようございます!」なんていうと、もう、顔を真っ赤にさせて、一部は怒鳴るような感じで大きな声を出してくる。最初っから、そうしようよ〜というのは、やっぱり、照れもあるし、「コイツ誰やねん?」(*本当は博多弁)という警戒もあるから、そうなっちゃうんだ。

若さで有意義に乗り越えた実習、子どもの期待に支えられたにも関わらず、2度の採用試験挑戦、失敗でリタイア。
最近は、少人数制とかティームティーチングも当たり前のようになってきて、教員が不足しているとかいうのもたまに聞き、当時に比べると臨時採用教師の枠も多かったりして。
タイミングなんだと思った。
同級生の中には、今も尚、仕事をしながら、講師をしながら、採用試験に挑み続けている人間もいるときく。
所詮、その程度の夢だったのか?といわれると、悔しさも多少ある。
でも、実習で、夢の8割くらいは叶って、満足したようなところもある。

その後、予備校の受付事務をやったり、物流関係の倉庫で商品管理をした。
それはそれで「つまんない」と思うことはほとんどなく、日々の業務に追われて疲れもしたが、同僚や先輩、上司との人間関係にも恵まれ、心地よい職場だった。事務的なこと、作業的なことが多かったが、その過程で「仕事を教えるのが上手いよね」と評価されたり、「笑顔がいいね」「飲みっぷりもいいね」(笑)とも言われ、調子に乗らせていただく機会もあった。
嫌われキャラ(飲み会で酒乱になるオヤジ、仕事をしないオネエサン)にも、とりあえず、笑顔で対応してしまうので、誰が猫の首に鈴を付けるか、ではないけど、仲介役みたいなのになることが多かった。
例えば、「あのオヤジうるさいから、相手してきて〜 KAZUちゃんの注意なら聞くと思うからさ」と。オヤジは「KAZUちゃ〜ん〜ヘロヘロ〜」とうるさくて、我慢の限界が来た私は「静かにせんですか!」と声を上げた。その場は、シーン…。オヤジはおとなしくなりましたとさ、めでたしめでたし。
またあるときは「アノコに仕事中寝るな!って言ってきて〜もう、私には手がおえないから」と託され、「部長と課長が、○○さんは挨拶もしないって言ってたのを偶然立ち聞きしてしまったから、言っておくね」なんて、ウソをつき、アノコちゃんの態度を改めさせようとアプローチもしたりした。3日間は、続いたが、やはり、元に戻った。寝ている時は「○○さん、寝てた?大丈夫?」って声をかけたりした。
それすら、先輩はしたくないほど、煮詰まっていたらしい。
それほど、そのこに対する期待があったんだろうな、って思った。

今、私は、美容関係の仕事と、美容サロンでの事務をちょろっとしているが、基本はそんなに変わっていない。
自分がプラスと思ったこと、知らなかったことは、伝えようとする。
伝わったときは、なんか嬉しい。
自己満足だといわれるかもしれない。
でも、私のちょろっとしたアプローチにより、ちょこっとでも、自分の顔を鏡で見るようになったとか、周りを気にするようになった(スッピンだったけど、ちゃんとしよう!とか)とか変化を聞くとなんだか励まされる。
事務の仕事に関しては、とくにOA処理に関する資格などなく、自己流にもかかわらず、評価してくださるので、「本当に、私でいいのか?」という自問自答は続く。誰か突如、スーパーOA処理抜群完璧ガール(笑)が現れたら、潔くその席は譲りたい気持ち。
OA処理をホンマの仕事にしてしまったら、PCでの遊びを忘れそうで怖い。(言い訳かもしれないけど)

ちょろっとしたことでも、自分らしく動いていることに自信もって行きたい(生きたい)ネ。性格も環境も違うから、一緒に成長しようなんてことは言わない。お互いにそれぞれ、持っている自分らしさとかペースとか、見守っていけるといいネ。




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