ふつうっぽい日記
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年賀状には多くの人から「お帰りなさい」というメッセージがあった。 実は正直、複雑であり「ただいま!」と素直に反応できない自分が私にはあった。
周りの人々には「戻ってきた」という印象が強いらしい。
ある定位置があって、そこを基点として移動している、またはこれまで移動してきたことへのねぎらいに受け取るのはおそらく狭い視点なのだろう。 狭い視点にとどまっていると、気分は不愉快になっていく。
また、「やっぱり、福岡がいいでしょう」となるとそこではない土地で過ごした日々を否定されているかのような不愉快な気持ちも喚起される。 これもまた、狭い視点にその言葉を受け取る私が立っているからそうなるだけだ。
不愉快な気持ちであるという意識(自覚)があって、また、不愉快な気持ちから脱したいと思えば、まずは不愉快な気持ちになっても当然だと冷静に受け止め、そして「そんなことより」と通過させて、これからの楽しみや喜びにワクワクすればいいのだ。
実際に動いていない他者(誰か)は想像で「私だったら」との仮説でその時漠然と、適当に相づち的な言葉を発しただけで、他者もまたもうその話題にはたいして重要性など抱いておらず、「そんなことより、来月どこにランチに行く?」みたいな気持ちに移り変わっているものだろう。
滞っていても、または、それを議論してもあまり意味がないことに決着をつけるのは(話題を変えるのは)その出来事に近い人間からであるほうが自然に目の前のことが流れていくのかも知れない。
年末の引っ越しは、初めてであり、時期が時期であるだけに新住所の知らせは年賀状で通知すればいいと思うのは共通理解してもらえる範囲だろうと思っている(私は) 何人かの人には少し前もって新住所を伝えておいた。 よって、その何人か以外の人たちは私が新しい住所になったことを知らされない状態で当たり前のように旧住所に郵便物を送ることになる。 当たり前である。
「前の住所に送ってしまってごめんなさい」と反応を伝えてきた人がいた。
思いがけず、謝らせてしまう状況となり私が今度は「ごめんなさい」と言わないといけないような気持ちになる。
その人がたまたま後輩である立場であったゆえに、私はカジュアルに伝えた。 前の住所に郵送してしまうのは当たり前であって、貴女は何も悪くはないこと。 そして、転送届け手続きもちゃんとしているので大丈夫であること。
お互いに不愉快な気持ち、詫びないとならない気持ちから解放される気持ちを持てた時、話題はいい感じでずれて行く様だ。
後輩はただいま妊娠中であることや上の子の就学でいろいろと慌ただしい状況であることを伝えた上で、私に今まで連絡を取っていなかったことに詫びてきた。
「なんだか申し訳ない」気持ちが彼女にはいろいろと漂っているらしかったが、私の中では「とにもかくにもこうやって繋がってくれたこと(反応をくれたこと)がただただ嬉しい」という気持ちで満たされて、「嬉しかった」と伝えた。
すると、「これからはちょくちょくメールすると思います♪」と空気がほぐれたような弛んだような雰囲気になった(と私は感じた)
妊娠や就学という状態は「大変」ではあるのだろうなとは思うが、「いろいろと大変だろうけど頑張ってね」という言葉はあえて避けた。 おそらく、たとえ同じ経験をしてきた(妊娠経験、子どもの就学に関わってきた)としても、大変さを共有したいから状況を伝えてきた訳ではないのであるし、彼女も私の状況(家族構成)を知っているので期待をしている訳ではないのだ。
「見守っているからね♪」とくくって、そのやりとりはひとまず一段落。
環境としての大人、人間という広い視点に立てたコミュニケーションをすることができて、冷静らしい自分の状況に安心した今日この頃である。
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