どんなに色あせても、色は無くなる事はない。 それでも、無色という言葉はある。
こんばんは、あまつばめです。 正月の3日間、あまりに澄んだ青空でした。一時、風花も飛んだのですが、空のほとんどは青。雲が見えないので明日も寒くなることでしょう。
子供のころ、どうしても理解できない色がありました。
私の育ったところは、お茶の栽培が盛んなところです。 自然とお茶を飲む機会が多かった。加えて、変なところで年より臭い私は、ジュースやスポーツドリンクよりお茶のほうが好きでした。
眼の前にあるお茶を見て、つくづく思います。 この薄緑色の液体が、なぜ『茶』なのか。 湿った土の色や、木の板の色が緑の『茶』色だという現実。 まったくもって理解できませんでした。
同じように理解できなかったのが『空』色でした。 晴れよりも雨の日が好きな子どもは、今にも降り出しそうな灰や黒の空が好きでした。 友達と『わくわくする空色』として話して、選んだ色が違うものでした。
空だって、晴れた青、雲の白、雨の灰、夕焼けの赤、夜の黒。 いくつもの色をもっている。 昼に空見ることが多い子どもなら、空は青いものだと思ってしまうのだろうか? 実際には曇りや雨の日もあって、本当に多い空の色は毎日くる黒い闇色だと思う。
濁ったような黒。それが私の空色だった。
今好きな色はなんだろう。
語呂から選べば赤。
赤。 朱や紅。 血や炎の色。 熱を表現する色。 クリムゾンやスカーレットなど、原色の1つだけに数多い別名をもっている。 1括りに赤といっても、人によって表す言葉が違う色。
赤の言葉は大好きだ。
見て好きな色は黒と白。
黒は不変。 他の色がちょっと混ざったくらいでは変わらない。 何より強く、全てを染めてしまう色。
白は万変。 他の色が少しでも混ざると表情を変える。 何より優しく、全てを受け入れる色。
私自身を色に例えると、灰色。 何をとっても半端。 好きな白と黒の混ざった色です。 なのに、自分自身を好きになりきれないのが不思議です。
色は、原色ほど強いイメージとたくさんの姿を持っています。 強いも弱いも、きれいも汚いも、そんな想像してしまう。 色を正確に表すのに、言葉では物足りないということなのかな?
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