2002年06月04日(火) |
人を不快にさせるだけの・・ |
こういう人ってたまにいますよね。 こないだも書いた本の話だけど・・。 主人公の兄が末期癌で余命いくらもない・・そんな時に見舞いに行った 妹に対して「何しに来た。俺がこんなになってるのを笑いに来たのか?」 兄の長男が受験で、東京で受験したいって言うから貴方のトコで泊まらせ てもらえない?と兄嫁から頼まれて受け入れたのに対しても 「人の家の子供だと思って勝手な事するなよな。子供のいないヤツには わかんないだろうけど、将来があるんだ。そんな子供の人生を気紛れで 狂わすような真似するなよ。」だとか「見せ物じゃないんだからもう 良いだろ。いい気味だと思ってるんだろ」とか(`-´メ) なんかさ・・・自分があといくらも生きられないって言うのを知らされ たからってこんなに自分の妹に当たらなくても・・と思う。 それ以上に腹が立つのは、子供のいないヤツにはわからんだろうけど ってトコ。 これ実生活でもよく耳にするし、実際言われた事もある。 でもさ、思うのよ。子供を持つのも持たないのもある程度は選択じゃない。 その人達の。夫婦であったり、母胎である母であったりする人の。 自分で(或いは自分たちで)選んでそうした癖に、そういう選択をしない 人をどうしてこうも「何の苦労もしてない癖に」だとか「子供もおらん 癖に」みたいな言い方するんだろ? 思わず私みたいに子供を産まない選択をした側の人間は「子供居ること、 産むことがそんなにエライの?」って言いそうになる。 ウチの母は私に。 お腹が痛いって寝てる私のお腹を踏んだ甥っ子に、怒った時。 スーパーで隣に座ってるお婆さんの足を(ちらっと私の目を見て笑って) 踏んだとき(それは自分の祖母が側に居て怒られないと確信したかに 私には見えた)怒った私に、母は。 「アンタは子供もおらん、薄情な子やから、たかが子供がしたことに 目くじらたてるんや。子供のおらん人間はそんな事も笑って見てやれんの か?」と。
・・・・・・・・そうですか? お腹が痛いと言う人のお腹を踏むことは、わざと人の足を踏むことは笑って 見てあげるようなほほえましい事ですか? 私は今でもそうは思えない。 でもこの話を母にすると、きっと言うんです。あの人。 「私がそんな事言うわけない。アンタが根性悪いからそんな風にひねくれて 取るんや。アンタは子供の時からそうだった」・・・と。
母のこと嫌いではありません。いえきっともっともっと愛して欲しいんで しょう・・そう自分の気持ちを理解するようになりました。 最近。ずっとずっと、あの人は私のことなんてどうでも良いんだと思って 来たけど。今でも多少の悲しさは感じるけど。 それでもきっと愛されてない訳はないんです。こうやって今日まで私は生きて 来れたんだから。
また別の人の話。これは私より8つほど上の男の人の話ですが。 私がMちゃんとその息子の話で楽しかった笑い話をした。 するとその人は、母親が働いてる家の子供が夜中に母を迎えに駅まで行って その途中で事件に巻き込まれて子供が殺されると言う話をした。 そして言った「子供が居る人はその辺を考えて欲しいですな」と。 私はすごく嫌な思いをした。 こっちは楽しい話をしてるのに、よりによってそんなたとえ話を出さなくて も・・と。するとその人は「別にソノ人の話をした訳じゃない」と。 恵美さんには楽しい話でも、こっちには面白くない話だってあると。 それとこれとは違うでしょ?と私は思う。 自分の幼児期の嫌な事を思い出したからって、それが人の楽しい話の腰を 折って良いって事にはならないし、ましてや子供が死ぬ・・なんて事を 言わないで欲しい。
上の話と矛盾すると言われるかも知れないけど、子供の居る人は云々を 言うなら、自分も子供を持ってから言え!とこの場合言いたくなった。 他人の子供の話として、私はMちゃんの子供の話をすることはない。 甥っ子より、姪っ子より、Mちゃんの子供の方が私には近い子供だし。 言ってはイケナイ言葉ではあるけど、その人には「だから結婚もしてない んでしょ。せめて結婚して子供出来てから言えば」と言いそうになる。 それほどこの人の言葉には険が感じられる、知り合った10年ほど前から。 人間いくつになっても自分さえその気があれば変わることが出来ると よく言われるけど、そういう意味ではこの人はその気がないのね・・と。 人の楽しささえ、憂鬱に変える。 そんな人間には私は決してなりたくないんです。
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