和田拓治郎の「夜景レストラン」

2004年04月12日(月) 交渉事は楽しいな


理解できない人に理解してもらう、興味の無い人を引き込む、自分の存在価値を認めてもらうなどの働きには、必然的に交渉がついてまわります。
はたしてそれが本当に良いのか。
自分の信じたことが真実ならば、他の人間はそれに共感し、瞬間でも同じ時間を共有するはずである。
この「交渉」というツールは便利であるが、大変へそ曲がりな生き物であり、流れるように操れるときもあれば、絡まってほどけないことも背中合わせな、浮遊感の塊と言える。
時に相手側の人間をよく知っているにもかかわらず、この「交渉」があらぬ方向に寄り道することで入り口に逆戻りなケースがある。
こうなってしまってわたしは、よくもう一つのツールとして「野生交渉」を使う。
これは、野放しということではなく、自分のテリトリーを犯すものに対しての警戒心を露にした、一種の挑発的な起爆剤である。
それまで大切に大切に育ててきた芽を、一瞬で吹き飛ばしてしまう危険性があるが、この風圧に耐えて実ったものは、その後のどんな障害も乗り越えてしまう強靱な絆を築いてしまうのである。






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の存在のように、強く根付いたものになるのである。

でも、根付きすぎてフットワーク重いのは意味ないですね。
たまに旅行とか行きたいし。


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