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2006年08月09日(水) ■ |
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2006年第14回 日本ジャンボリーを終えて |
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「風の不思議を突っ走れ!」 ―Scouts Wave 100―
 8月1日深夜大阪森之宮出発 翌日石川県珠洲市ジャンボリー会場へ到着 今回の私の任務は7SCでSHQの救護班 ここのサイトは、和歌山連盟から整形外科医、奈良連盟から外科医、大阪連盟から内科医、そして広報担当を兼ねた歯科医のドクター4名とナースは私より1つ上の国立病院の内科病棟に勤めるカブスカウトの隊長のナースと、70代の元ナース、そして私の3名。 事務の仕事をしてくださるのは、70代の元ビーバーの隊長の女性と元ボーイ隊の隊長の男性現在は団委員さん、30代のカブ隊の隊長の男性の9名です。 サイトの救護所でしたが、朝1番から、ナタで指を切ってくるスカウトが毎日2〜3名、軍手をしていたから表面の縫合だけですみましたが、軍手をせずにナタで腱まで切ったスカウトも1名いました。整形外科医と外科医がサイトで縫合。 キャンプ前から風邪気味で高熱を出して運ばれてくるスカウト、熱中症も続出、心臓疾患で胸を押さえながら、「WPW症候群です。」と飛び込んで来る中3のスカウト。携帯心電図で波形を見ると、典型的なWPW症候群、病院へ行く頃には発作がおさまり、発作中の波形データーが欲しいと言われるが、携帯EKGで記録するのには、モニター記録プリンターにつながなければいけないので記録できない。スカウトは興奮しているのか多弁で手持ちのワイパックスを服用すみ、すぐに中央救護所へ運び、点滴治療するころには、発作も治まり、病院へ搬送せずに経過観察。 泣きながら、しんどいと救護所へ来る子供は、話を聞くとなんらかのウツ症状、今回の女子スカウトも事前キャンプからず〜っと同じ班の女の子と合わない、班に戻ることが苦痛だと泣いていたが、話を傾聴し、社会に出ても嫌な人はいる、でも自分から変わらないとダメだと、まず笑顔であいさつから始めてみようとアドバイスをし、最後は笑顔で帰隊。翌日も来るかなって思っていたら、もうしっかり頑張っていたようです。 過換気症候群も数名いました。 海外スカウトの過換気症候群もいました。ホームシックにもかかっているようでした。「Long breathing〜」「フ〜〜〜」と言いながら、様子観察、海外リーダーの付き添いのもと元気になりました。 アラブ共和国のスカウトも来ました。日本へ来るスカウトは裕福な家庭の子で、英語は少し話せる子が多く、日系のアメリカ人は簡単な日本語はわかる子もいました。 中央の救護所へも見学に行きましたが、ここはドクター、救命救急士、薬剤師、ナースがいて数も多く、野戦病院のような忙しさです。24時間、夜勤も交代でしているようです。昼間は、暑いテントで仮眠、私たちのサイトよりも過酷でした。 毎回大きなキャンプでは自衛隊も応援に来てくれています。 自衛隊は、災害活動訓練という名目で手伝ってくれています。
ジャンボリーの救護所は初めてで、学ぶことも多かったです。 私たち医療チームも過酷な仕事でしたが、報酬はスカウトの笑顔。 日本全国、36カ国から参加のスカウト達が、続々とバスで帰っていくのを手を振りながらお見送り。 窓を開けて「ありがとうございます。さようなら〜」と元気よく満面笑顔で各地へ帰っていくスカウト達をお見送りしていると、感動しジ〜ントくるものがありました。
期間中の夜のミーティングでは、いろいろな意見や日本連盟の考え方に対する不満の声もありましたが、全て子供達の笑顔で消されていきました。 奉仕もいろいろな奉仕があり、リーダー参加は、現隊で、ウッドバッチの研修終了の隊長、副長、コミッシュナー、団委員長、団委員、理事長が多く、医療チームも全てボーイスカウト関係者。 食堂担当の大阪連盟堺地区のビーバー隊長兼地区コミッシュナーの元気で明るいKさん。食堂も暑い中何百人という私たちの食事を作ってくれています。このKさんのおかげで食事タイムがとっても楽しく、次回は食堂でご奉仕したいと思えるぐらい。 やはり、私たちは仕事で参加しているのではないのです。ご奉仕で来ているのだから、どうせ辛い仕事をするのなら、工夫をして楽しく仕事が出来る方がいい。 救護所にいると、沢山の子供達と、話す機会も少なく、医療チームも1度経験したらもういいか、次回はやはりリーダーで参加するか、別のご奉仕も経験したいかなとも思いました。
いつもはキャンプから帰ると、家のお風呂、お布団で寝ることがすごく幸せだと感じ、やっぱり家がいいなって思い、普段のあたりまえの幸せ、家族に感謝出来るのに、夕べは疲れすぎて、何も感じることなく、熟睡してしまいました。 しかし久し振りに見る家族、そして愛犬の蓮の顔を見るとホットしました^^
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