Opportunity knocks
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2007年05月15日(火) こうのとりのゆりかごについて

熊本の慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」に3〜4歳児と見られる子供が入れられていたと、今朝のニュースできいた。
3、4歳といえばもう言葉も話せるし、小さい範囲ながらも社会性などが芽生える時期。そんな子供を、と思わず言葉がつまる。

「こうのとりのゆりかご」に対しては概ね賛同しているし、子供の生命を最優先に考えた制度だと思ってはいるけれど、それでも今朝のニュースのようなことが起こると、いろんな問題点はまだまだたくさんあるんだと気付かされる。
要はその問題点に対してもっと国が(民間にばかり背負わせるのではなくて)本腰を入れて対処に乗り出せばいいのだけど、そう簡単に動きそうもない。それどころか、ここぞとばかりに「こうのとりのゆりかご」に対するバッシングが集中するだけで終わってしまうような気がする。

慈恵病院の行動は、あくまでこの問題(子捨て、虐待)を社会全体で考えていこうという試みでしかないのに、それに対して国や一部の人々はまるでなにか悪いことでもしているかのように冷ややかな目でみたり一方的に非難したりしている。それがまずおかしい。餓死する赤ちゃんや捨てられる嬰児が後を絶たない中、まず赤ちゃんのための受け皿を用意する事がなぜいけないのか。足らない点があればその都度知恵をだしあって検討していけばいいと思うのに、なぜかその存在(こうのとりのゆりかご)自体を全否定してしまう。どうしてそういう極端なことしかできないのか。

国が臭いものには蓋をしろ的な姿勢を省みる事がない限り、子捨てや虐待は増え続けるとおもうし、社会はさらに悪い方向へむかっていく気がする。そういう世の中で子どもを生み育てていこうという人が減っていくのは当然の結果だとおもうし、いくら少子化対策を講じてもこれでは穴のあいたバケツに水を注ぐようなものだとおもう。

反対だ反対だと青筋立てて起こっている人には、ただ反対するのではなくてどうすればよりよい制度になるかを真面目に考えてもらいたい。
少なくとも子供を助けようとする善意の芽をつむようなことだけはしてほしくない。




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