求めるは求められるより強い、と思う今日この頃。昔から主体的な人間とは決して呼べず、誰かに求められる(愛される)ことに、より労力を払ってきただけになかなか思考の転換が難しいのだけれど、それでも愛されるよりは(愛されるために必死になるよりは)愛したい、求めたい、と今はそう思う。