ON LOTUS
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2004年03月25日(木) 人に浸透する具合。

誰かに会う。
その会っている間に、お互いに浸透する。

幾度も会っていると、相手がその場にいなくても「こんな時、○○ならこんなことを言うだろうな」とか、「これは□□が好きそうなものだ」とか、思うようになると浸透率はだいぶ高い。

あとでその本人に会って「こんな事があったんだけど」と事の顛末を話して、想像通りの反応が返って来たら、これはもうかなり浸透していることになる。思考や嗜好や指向が滲み出して、お互いに浸透して、それが嫌でなければ、気が合うとか、ウマが合うとか、好きだとか、そういうことになったりする。

だいたいの場合、知人や友人や恋人や家族の間で、交歓しているうちに浸透していくけれど、それが一方通行の場合もある。例えば、役者などの自分の一部を世にさらけ出して生きている人などは、不特定多数に浸透している。
誤解や齟齬もかなりあるだろう。

それでもまん中の、何かを貫き通す姿勢は伝わってくるような気がする。浸透していることにかわりはない。
浸透とは、影響のことだ。

長らく、テレビで一方的にお会いする機会の多かった、いかりや長介さん。
ご冥福をお祈り致します。


それにしても、時々思うのだけれど、ワタシのあだ名が「ぼす」であることについて。「ぼす」とは一般に言うところの「統括する人物」「まとめ役」「なんだかちょっと偉い人」とは、大いに異なっていると思う。だいいち、表記してみれば平仮名なのだ。

どういう経緯でここまで定着しているのかは知らないが、あまりよく知らない人から「ぼす」と呼ばれると、少し驚く。驚き半分。反面少し嬉しいような恥ずかしいような複雑なところ。「ぼすさん」などと、敬称らしきものまでつけられた時には、一体どうしたらいいのか分からなくなってしまう。いくらなんでも名前じゃないのだから、敬称までつけることはないと思う。
最初は、冗談で呼ばれていたような気がするものの、いつの間にか、呼び名だけが一人歩きしている。

まったくの初対面の人を前にして「ぼす」と呼ばれた時、その初めて会った人は少し不思議そうな表情を浮かべて、

「この人は一体何者で、何のボスなのだろう。私の友達はこのボスと呼ばれた人とはどんな関係なんだろう。あんまりボスという感じはしないのだけれど」

という状態になる。まったくその通りだと思う。


たけやん |MAILHomePage

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