最近、日記の出だしを考えるのが面白いんです。
お気に入りの作家さんの親父さんのおかげかも知れません。
その作家さんはエッセイで、こんなことを書いています。
小学校一年生の夏休みに、私は生まれてはじめて絵日記をつけた。1ページ目をかきおえて、さっそく嬉々として父に見せに行くと、どれどれ、と日記帖をのぞきこんだ父は(父は、仕事中でも決して、あとでね、とは言わなかった)、にわかにきびしい顔つきになり、 「日記は、きょうは、では始めてはいけない。きょうのことに決まっているんだから」 と言った。六歳の私の、あの失望。すごすごと書斎をでて行こうとする私の背中に、おいうちをかけるように父は、 「ああ、それから、私は、で始めてもいけないよ。私のことに決まっているんだから」 と言ったのだった。
これを読んで、ボクは驚きました。 たかが6歳の子どもに、言うことだろうか。 結果、この少女は作家になったのだからすごい。 (ちなみにこの親父さんも随筆家であり、俳人なので、文才は遺伝なのかも知れませんが・・・。)
で、ボクの日記。 自分でも満足のいく文章が書けたときと、 そうでないときがあります。 それもひとえに文章の書き出しによるところが大きいと思えるのです。
書き出しが上手くいくと、そのあともスラスラ書けちゃう。 しかも、スラスラ書けた文章のほうが、思い悩んで言葉を探して書いた文章よりも上手く書けた気がするから不思議です。 (他の人が読むとどうなのかは不明ですけどね。)
他の人の日記なんかも、ついつい出だしを意識して読んでしまいます。
でも、今日の自分の日記はちょっとダメかも・・・。 3日くらいネタを暖めていたのに・・・。
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