日々雑感
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2001年12月09日(日) おそるべしオリヅルラン

何か部屋に植物を置きたいと言ったら、友人が自分の家にあったオリヅルランをわけてくれた。ずいぶん前の話だ。オリヅルランは細長い葉をした「常緑多年草」(辞典でひいてみた)で、葉っぱの間から長い枝が出てきてはその先に新しい小苗をつける。友人から譲り受けた分からも一つ、二つと小苗ができてきて、その度に別の鉢に植え替えては喜んでいた。はじめのうちは。

すぐに分かったが、このオリヅルランが小苗をつくるペースはただ事ではないのだ。植え替えたものからまたいくつも枝が出てきて、いくらやっても追いつかない。人に分けてあげようとしても、この植物のことを知ってる人は「ああ、あれね」と言って受け取ろうとしない。そのうち部屋が占領されるのではないかと脅えつつ、今いるところに引っ越してくるときもオリヅルランの植わった鉢をいくつも抱えてきた。

新しいアパートは大家さんの家の庭と地続きになっていて、小さな門を入ってすぐのところに雑草がたくさんはえたスペースがあった。これはいいと思い、ある朝、小苗をいくつかそこに植えた。ここだったら土の上だし思う存分伸びるだろう。しかし、一週間くらいたったとき、ふと見るとオリヅルランだけ残して他の雑草がきれいに抜かれていたのだ。オリヅルラン、他の草にまぎれるどころかいつの間にか主役になっている。

あとで分かったのだが、大家さんは庭の手入れに異常に熱心な人だったのだ。よく見ると、庭にはいろんな木や花が植わっており、近所の人が花の栽培のしかたについて尋ねにきたりする。当然、あのスペースも大家さんの縄張りだったらしい。しばらくすると、オリヅルランと並んでそこには水仙が咲いた。水仙のためのスペースだったか。

けれど、そのあとも抜かれることなく、だんだんと小苗も増やして今でも元気でいる。しっかりチェックしてたはずのスペースにいきなり妙なものが現れてどう思ったのか、なぜそのままにしておいたのか。大家さんの本心は謎だけれども、部屋の中で鉢に植わっているやつよりもずっと色つやがいい様子を見るたびに「よかったねえ。」と思う。私がここからいなくなっても、このオリヅルランは何年も何年も、ずっと新しい小苗をつくりつづけていくだろうか。人がいなくなっても植物は残る。

その大家さんの飼い猫モモちゃん、冬になってなぜか真ん丸に。冬ごもりの準備か。


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