思い出に変わるまで
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2001年12月19日(水) 姉妹、兄弟

今日弟が作った年賀状を取りに来た
先週末実家で遅くまで作ってたけど時間が足りなくて家で作ってたんだ
合計80枚くらい
弟は仕事中だっから長居はしなかったけど10時過ぎかな、弟の奥さん(義妹)からお礼の電話があった。しばらく喋ってて電話を切った
実家には出産後の姉が里帰りしてることもあって最近やたら連絡取ることが多い
うちの姉妹は弟も含めよく会話をする
他人からは不思議がられるくらい仲がいい

今週の初め母が持病の糖尿病から眼底出血を引き起こして手術をした
姉妹の間で情報のやり取りしてるうちに手術代をどうやって父は工面するのだろうというところまで来た
なんせ家は中流?よりも下の家庭?くらいかな?
姉も弟も家庭を持ってるし、まして長男である弟は同居しているにもかかわらず車のローンや何やらあって、とにかく余裕がない生活
父もタクシーの運転手してるけど、このご時世
歩合制の仕事には生活の余裕なし
とにかく貧乏なのだ
昔から裕福な生活を過ごしてきた記憶はない
でも、家族の中では苦しいながらも助け合って生活してきた
心の繋がりは強い家族だと思う
何かあると必ず「家族会議」なるもので問題解決してきたしね
そんな中姉から三人で手術代をカンパしようと自然に話が出てきた
誰も反対しなかった
私も逆に自分からいくらかカンパするつもりだったし、姉も同じ事考えているのが妙に嬉しかったりもした
手術代は4万、独身の私には出して出せないお金ではない
三人で負担すれば当然もっと負担は軽い
母も一人からのカンパより三人からのカンパの方がすんなり受け取りやすいだろうって事。先週実家帰った時母からお礼言われたけど母にとってはお金より三人の「気持ち」が何より嬉しい。と涙声だった

この年になって親元はなれて、親のありがたさや偉大さって本当感じる
よく結婚式に親に感謝の言葉を言う場面があるけど、別にあの日だけ特別に感謝してる訳じゃないんだよね
なかなかテレくさくて言葉に出す機会ないだけ
私自身「親」になってもおかしくない年齢になって子供を育てること、環境を作る事、大変なことだなぁ・・って思う
この先何年かして子供でも産むでしょ?
年取れば病気だってするし、お婆ちゃんになればボケてくるかもしんない
そんな時子供に煙たがられて、放っておかれない親になれてるのかな?
母はきっと「三人から」って渡された四万はどの四万より嬉しかっただろうなぁって思うとこの母の子に産まれてよかった。こんな母親になりたいなって強く思った


mamirin |MAIL

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