思い出に変わるまで
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2008年09月30日(火) 入院生活

入院前から病院に提出した書類で個室を希望していた。
だけど、どうも出産ラッシュらしく個室が空いてなく、二人部屋が割り当てられました。

病室に入ると相方さんはまだ分娩室にいるらしく、だれもいませんでした。
窓際のベッドを選び、荷物をロッカーに入れ、お義母さんと話してるとしばらくして義妹が甥、姪、タメを連れて来てくれた。続く様にして仕事が早く終わったさとしクンが到着。
その時既に赤ちゃんは部屋に来ており、早速姉、いとこの洗礼を浴びる赤ちゃん。
みんなかわいい、かわいいとほっぺ、頭をなでなで。
7歳の姪はうれしそうに抱っこしていました。
夕方にはディサービスから帰ってきた母が父と一緒に来てくれ、安産だった事に安心したみたいだった。

だってね・・・・
母なんて何日も前から毎日のようにウチに来たがってたらしい。
私の事が心配だったんだって。


ま、こんな感じで一日目は過ぎようとしていました。

夜の10時過ぎに相方さんが病室に入り、半分眠ってた私はうろ覚え。
一日目は母子同室ではなく、預かりだったのでぐっすり眠ろうとしてたんだけど、気が高ぶっているのか何度も目が覚めた。
すると、カーテン越しにお隣さんもシーツの擦れる音がしているので
(あぁ、同じなんだな)と思いながらも一日目の夜は更けていった。

翌日、洗顔しにカーテンから顔を出すとイスに座ってるお隣さんとハチ会わせ。
挨拶をし、少し話しをしていると12時間の難産だったらしく、産道の中に胎児が出るのに邪魔なヒダ?か何かあり、それを切り、産道出口が裂け、会陰切開をした上に何針か縫ってるので痛くて眠れなかったんだって。
陣痛を何時間も耐えた上、産んでもまた一夜苦しんだなんて・・・・
聞いてるだけでも子宮が痛くなりそうだった。

同じ日に出産をしたという事もありすぐに仲良くなりました。
母子同室になっても授乳は授乳室まで行くので一緒に行ったり、色んな話をした。退院後も連絡を取り合おうって連絡先を交換しました。
その子は実家がこちらで住んでるのは車で40分程離れたところだけど
実家に帰った際は遊ぼうね。って。

個室ではこんな交流はなかったから相部屋でよかったかも・・・。


mamirin |MAIL

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