バンド日和・改め・TOKIO日和?
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2004年09月20日(月) 眠れずに明け方まで起きていた

ゆうべ、TOKIOとして出会う以前の日から今までをずっと、思い返していた。
想いは走馬燈のように蘇るのに、言葉は次から次へと溢れ出すのに、それを文章にできずにいた。
というのも、PCをやるのがリビングなので、電気をつけると隣で寝ている家族に迷惑をかけるからだ。
だからずっと自問自答して、言葉を自分の中だけで押し殺して、結局明け方まで眠れなかった。

これを書かなければ、ライブの感想も書けそうもない気がして、私は家族に時間をもらって
これを書くことにする。


1993年頃(?)
私が結婚した年だったと思う。
当時かなり話題になっていたと思われる「同窓会」というドラマで、初めてたっちゃんを見る。
結局内容が過激なこともあり、一度しか見ていなかった。
太一くんが出ていたことはまったく知らなかった。
そして、ジャニーズの人であることも全然知らない頃である。


1995年(?)
元々旦那が見ていた「はぐれ刑事」で城島茂という人を知る。
TOKIOというグループに属しているということすら知らない時期だ。
この人、ぎこちないセリフをしゃべる人だなー、くらいにしか思っていなかった。
それでも、この山岡刑事を結局、シリーズが終わるまでほとんど見続けていた。

時を同じくして、やはり旦那の方が見ていた深夜枠の「鉄腕DASH」でTOKIOの存在を知る。
忘れられないのは、長瀬の自転車と、マウイ島だかのロケでメンバーが出会えるか?という企画だった。

この年、私は息子を身ごもっていて、ひどいつわりで入院していた。
病室で見た太一くんのドラマ「ザ・シェフ」が忘れられない。
太一くんはなんてかわいい人なんだろうと思っていた。


1998年
我が家引っ越し。確かこの年、DASHもゴールデンタイムに引っ越したと思う。
3000歩シリーズが大好きだった。
「ったく、リーダーってなんてトロいの?!」と平気で口にしていた頃。
思えばあれは愛情の裏返し、家族の手前、照れ隠しをしていたのかもしれない。
それでもまだTOKIOのお茶の間ファンでしかなかった。


2000年2月
あるコンビニで手にした雑誌、たまたま開いたそのページに茂さんのインタビューが載っていた。
この時だ、私が何かを感じたのは。「美男の国から」というエッセーを出していることを知り、
本屋で購入、一気に読んで、茂さんの魅力にはまってしまった。
ここから私のTOKIOファンとしての歴史がスタートする。
出たばかりだったアルバム「YESTERDAY & TODAY」を買いに走り、「Yesterday’s」に泣く。
この曲はいまだにライブで必ず泣く曲のひとつだ。私の鬱の部分にめちゃくちゃ響いてくる。
それまでのアルバム、シングルを買いあさる。

「メントレ」枠で、なんとか3月のライブのチケットをゲット。
私のTOKIOライブ初参加となる。
やっぱり泣いた。天井席だろうが、横だろうが、見れることに幸せを感じて泣いた。
コンサート会場でファンクラブに入会。

4月、PC購入。メール、インターネットを始める。
そしてTOKIOファンサイトにも足を運び始める。
その時出会った一人の友達とは、今もずっとやりとりをし続けている。
私がHPを立ち上げるきっかけを作ってくれた人、悩みや苦しみも分かち合ってくれる人だ。

4月、まぼのドラマ「ショカツ」エキストラに参加。
その時知り合った一人の友達とは、時々メールや電話をしている。
今回の武道館では電話でしか話せなかったが、私より15歳くらい年下なのに、しっかりしている。

5月。DASHとメントレの番協に参加。
もうTOKIO一色な毎日を送っていた。

茂さんや太一くんのラジオ番組に、ハガキ職人のようにハガキを出し続けたのもこの頃。
結果、3ヶ月の間に3枚ハガキを採用してもらい、震えるくらいうれしくて泣いた。
が、このことが友達を一人失うことになり、もう一人の友達からは悲しい言葉を吐かれることになる。
(ここにはちょっと書きたくない)

10月。初ジャニーズ大運動会参加。

相変わらずファンサイトに足を運び、交流も覚え、楽しい時期を送っていた。
けれどその陰には、私の日常生活を犠牲にするということがあった。
息子の現実から逃避し、朝方までチャットをしていたこともしばしばだった。
そして、あるサイトのチャットで生まれたのが、「やまおか」と「かな」というキャラクターで、
私がお友達のサイトに投稿させていただいている「絆」という作品の原点になった。


2001年
3月の武道館は、私にとっての初オフ会となる。
グループでライブを楽しむということを経験する。
思えばあれはあれで楽しかったな。
でも、当時は私も強烈なファンだったから、地方ライブにまで全部行く友達に、激しい嫉妬を覚えた。
「TOKIOライブは全部行って、彼氏とはラブラブで、そんなに全部手に入ると思うなよ?」と
心の中ではメラメラと闘志を燃やす。しかも彼女は茂ファンだったしね。
それが後に、自分の詩の作品となって、HPに登場することになる。(どの詩かはご想像ください)
私は独占欲が強いため、当時も茂ファンとは、心から交流ができなかったのを思い出す。
もともと茂ファンは強烈なキャラの人が多いようで、お互いにそうだったのかもしれない。(苦笑)
他の智也ファンが仲良く共有しているのを見て、ちょっとうらやましかった。

5月。DASHの「100人刑事」に応募し、採用される。
友達4人と一緒に受けることになり、うち3人が採用。
私はその友達の一人と一緒のグループになり、たっちゃんを追いかけた。
ロケはけっこうきつかったが、タイムアップ間際に見た城南島の夜景、なんだか忘れられない。
今となってはいい思い出だ。

3月末に、ある友達のファンサイトが閉鎖したのをきっかけに、私は「やまおか」と「かな」の
会話を書き始める。
それが後の「絆」となり、お友達のサイトに投稿させていただくことになった。
私はこの頃から、文章書きに熱中し始める。
毎日毎日、詩やら小説もどきを書いては、明け方まで起きているという生活。
当時の平均睡眠時間は4時間程度。昼寝をするのも惜しんで、昼間も書き続けた。
家族には迷惑をかけた・・・。

確かこの頃、フィルムコンサートに当たって、横浜と東京のを見に行ったなぁ。

7月。TOKIOがある番組で「アゲハ蝶」を歌ったのをきっかけに、ポルノグラフィティにも
傾倒していく。
元々「サウダージ」はCDを買うほど好きだったし、それまでの「アポロ」や「ミュージック・アワー」
も好きだった。
私はTOKIOファンとポルノファンという二足の草鞋を履くことになる。

8月。私にとって忘れられない体験がやってくる。
「カンパイ!!」での握手会。茂さんとたっちゃんと握手を2回ずつした。
2度目の握手では、茂さんに名前を呼んでもらい、倒れそうになった。
茂さんもたっちゃんも、男の人なのに、すごくきれいだなと思ったのを思い出す。
そして、私はある意味、これで思い残すことはないと思った。

10月。二度目のジャニーズ大運動会参加。これももうこれきりでいいやと思った。

その間も文章を書き続ける日々は続く。

12月。ついに自分のHPを設立するに至る。


2002年
私のからだは限界に達していたのだと思う。精神状態もかなり悪くなっていた。

3月。武道館ライブ4日間すべて見させてもらった。ここでも家族に迷惑をかけた。

7月。あることがきっかけでファン友達の一人を失う。
「友達でいる必要ないから。もう二度と連絡してこないで」と言われ、ヘコみ続けた。
この頃からかもしれない。ファン友達と交流することが怖くなり始めてしまったのは。
彼女と私の共通の仲間からも、私は身を退いた。
他の人に迷惑をかけたくなかったからだ。
それでも大切なお友達とは、サイトやメールを通じて交流していた。それはもちろん今でも。

10月。私はそれまで薬を飲むことを拒み続けていたのだが、もう限界だった。
お医者さんを変え、薬を飲み始めた。
当然眠気に襲われ、起きていられない。
文章を書きたくても、なかなか書けなくなってくる。
私の文章書きは、徐々にペースを落としていった。


2003年
さらに文章書きのペースは落ちる。

3月。TOKIOライブで、久しぶりに楽しくはじけた。

4月。息子が小学校に入学。軽度知的障害にもかかわらず普通学級に入ったため、苦労がたえなかった。
たくさん泣いた。悔しかった。
TOKIOやポルノに逃げられない現実の生活が、私を待っていた。
翌年、特殊学級のある別の小学校に転校させることを決意する。

10月(?)フィルムコンサートに参加。間近で太一くんと長瀬を見れて幸せだった。
が、現地で話した他のファンとの差(立場とか熱意とか不可能性)を感じ、私はイベントはこれっきりに
しようと決意。


2004年
3月。TOKIOライブは、本当にひとときの幸せだった。

4月。息子は転校した。私の生活もまた一からやり直しで、初めは戸惑うことばかり。
精神的にも緊張状態が続き、きつかった。
前々からそうなってはいたのだが、アイドル誌も音楽雑誌も買えなくなっていた。
私に管理能力がないのと、読む気力が起きなかったせいだ。

8月。私は鬱が最高潮に達し、日常生活に嫌気がさして、家出未遂。(家族は知らないが)

9月。不安な気持ちのままTOKIO10周年ライブを迎える。
そして・・・私はやっぱりTOKIOが好きだと再確認した。
どんなファンでもいいじゃん、私は私で、と。
同時に、ポルノに対しても抱いていた不安というものも払拭された。
私は「シスター」という曲も大好きだ。

これからも自分のできる限り、TOKIOとポルノのファンをやっていこうと思う。


長々と読んでくださって、ありがとうございました。m(_ _)m
これを書くことによって、少し自分の気持ちがラクになりました。
しばらくしたら、ライブレポが書けるかもしれません。


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