最強の星の真下

2002年10月24日(木) 税金に対する怒り。

今日給与明細を見た。
年初から今月までに払った税金額に、怒りが改めて湧き上がってきた。
私のところは、毎月毎月きちんと今までに支払った額が積算されて表示されるのだ。


昔の人達が「貢ぎ物」を納めたのは、力によって自分たちが滅ぼされないためだった。
昔の人達が「年貢」を納めたのは武士が彼らの代わりに戦うから。あと、納めないと自分たちの身が危ないから。処罰されるから。・・・つまり「年貢」を納めることで自分たちの身の安全を買っていた。
国に税金を払うというのは、国家という権力によって自分の安全を得るためのはずだ。国というのは、私たちが税金を払う代わりに私たちの身の安全を保障してくれるもののはずだ。
だから過去「国」を持たなかったユダヤの人達は、国レベルの迫害に対抗できなかったのだし、「国」を持とうとした。

だからこそ私は大人しく税金を徴収されている。
道路が整備されればより交通が安全になるし、警察が充実すればより犯罪が減る。食品に目を光らせていてくれればより安全な食物が供給されるし、医薬品を検査してくれればより安全な医薬で治療して貰える。金融を見張ってくれればより安心して暮らせるし、建築物をきちんと監査してくれれば安心な建物に住める。そして外交が充実すればより他国の脅威からも遠ざかる。

けれど。
他国に自国民を害された時に自国民を守ろうとしない「国」なぞに、どうして税金を払わなくてはならないのか。
私が他国に連れ去られても他国の「軍隊」とやらに暴行を受けても守ってくれないような、そんな組織にどうして額に汗して働いてやっと得た金銭をこんなにも納めなくてはならないのか。
自分たちの放漫経営で破綻した自業自得の企業に漫然と資金を注ぎ込ませる(しかも貸与ですらない!)ために、私は自分の労働に対する対価を何故搾取されなくてはならないのか。

散漫な監視でチェック機能も働いていないままに市場に出た、危ないかもしれない食物を供給されるのなら、そんな監視は必要ない。監視しなくても同じだろうから。
散漫な監視でチェック機能も働いていない危ない建築物に住み、危ない建築物で働き、ご立派な行政指導で危ない状態の原子炉が稼働し、震災で簡単に倒壊する道路を使用し、毒ガスを撒き散らしても犯人が宗教法人であれば目こぼしされ野放しのまま、自分たちの無駄遣いをやめるくらいなら機会あれば税収を増やそうと虎視眈々、そういう「国」に自分の労働の成果を払う程、私の財布は重くないし、私の心もそんなに広くない。

金銭を得れば所得税、物を買えば消費税、家を買えば取得税に固定資産税、人が死ねば相続税、輸入をすれば関税、事業を始めれば法人税、どこかに住むだけで住民税、更に都市計画税。しかもどれもこれも額だけはいっぱしに高率だ。恐らく死ぬまでに稼ぐ額の3/4は国に納めることになるだろう。

「消費税は福祉に使います」という話がきちんと実行されているのであれば、老後はさぞや安心に暮らせることだろう。病気をしても安心だ。何と言ったって、消費税は莫大な額だ。きっととても充実した医療を無料で受けられるのだろう。あんな莫大な額が福祉に使われているのだもの。
怪我をして働けなくなっても勿論安心。あれだけの額を投入して福祉が充実していない訳がないものね。

でも、どうして医療費負担が3割に増加するのかしらねえ?2割に増えたのはつい先日の話なのに。医療も福祉の一環だと思っていたのだけれど。
まるで手品のようね。


・・・ふざけるのも大概にして下さい。


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桂蘭 [MAIL] [深い井戸の底]

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