最強の星の真下

2004年03月25日(木) 何故か悲しい。

ここ数日、帰宅後Webでいかりやさんのニュースを読んでは泣き暮らしていた訳だが。
ようやくニュースが少なくなってきた。

今まで自分でも知らなかったけれど実は随分とお気に入りの芸人さんだったのだなあ、というのが正直なところ。
自分がこんなにがっくりきているのが、自分でも信じられない。
今までどんな芸人さんが亡くなっても、こんなに悲しく感じたことはない。

知り合いでも何でもないのだし。テレビの向こうの人に思い入れるというのも、よく分からない。

と思っていた。今もそう思っているのだけれど。でも。




私が子供の頃。
テレビを観るのはほとんど土曜日の夕方から夜にかけてだけだった。
毎日色々なお稽古事があったので、午後まで学校がある日はテレビ番組を通しで観ている時間はあまりなかった。お稽古事から帰ってきたらピアノの練習の時間だったし。
お稽古事を減らしてからは塾通い。というか、塾通いのためにお稽古事を減らしたのだが、そうなると夕方から夜にかけては塾で授業だったので、やっぱりテレビを観ている時間はあまりなかった。

唯一通しで観ていられたのは土曜日の19時から21時までの2時間。
土曜日は学校も午前中だけなので、お稽古事も塾も夕方には終わったから。

あの頃のテレビ番組で覚えているのは、だからまんが日本昔話から8時だよ全員集合、までの3番組だけ。
日本昔話は、今でも主題歌をそらで歌えるし、当時のはらたいらの顔だって覚えている。
ドリフターズのドタバタでは、いつも加藤茶と志村けんがいかりやさんをぎゃふんと言わせるのを応援していた。かれらは「子供の側」だった。そしていかりやさんは「親」だったり「教師」だったり、子供にとっては実に煙たい役回りだったので。

でも子供の頃は煙たい存在であっても、時が過ぎて大人になったとき、煙たかった存在ほど懐かしく思い出すものなのだと知った。
当時煙たくなかった先生、つまりは子供に媚を売っていたような先生や子供に正面から関わろうとしなかった先生たちは、昔も今も「どうでもよい存在」でしかない。名前すら忘れる、路傍の石のようなものだ。

大人になってから。
いかりやさんが出ているからとわざわざテレビドラマを観るような事はなかったけれど。偶然チャンネルを変えていていかりやさんが出ているテレビドラマに当たったときは、いつもならそのまま通り過ぎるチャンネルを、変えずに止めて観ていた。いかりやさん太ったね、などと言いながら。
テレビドラマなんて普段ほとんど観ないのに。
良い演技だった。

残った4人でドリフターズをやっていくというけれど。
私にとっては、いかりやさんのいないチームは、もうドリフターズではないのだと思う。
コーヒー豆をセットし忘れたドリップコーヒーのような感じだろうか。それはもうただのお湯でしょう、という。

そして、もう二度と新鮮ないかりや味のコーヒーは飲めない。





やっぱり葬儀の記帳、仕事放り出してでも行けば良かった。


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桂蘭 [MAIL] [深い井戸の底]

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