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2003年07月09日(水) とにかく読んで!!

思い出の誕生日




私が白血病だと診断されたのは1994年の12月、小学校4年生でした。退院したのはの8月。
ちょうど8ヶ月間入院していました。告知を受けたのは、小学4年生の春だったような気がします。

病名は急性リンパ性白血病。とても大変な病気だと言う事で、
「これからも頑張って治していこうね」
そう主治医に強く言われたのを覚えています。でも何故その事を先生は必死に私に伝えようとしたのか。
その理由が分かったのはつい最近の事です。
でもその頃の私はけろっとしていました。「ふーん、そうなんだ。だから?」と言う感じで。

私は市内の市民病院に入院しました。
何度何度も採血をしに来る看護士におびえている時、
女医さんが「この病気はあなどると怖いから、しっかり治そうね。」
と私に優しく話し掛けてくれたのを覚えています。
私はその言葉に少し安心し、絶対直してやると心に誓いました。

次の日車椅子を押してもらって、すぐに救急車に乗せられ豊橋の市民病院に搬送されました。
「何故歩けるのに車椅子に乗るんだろう?」そのことが疑問でなりませんでした。
しかし、車椅子に乗らないと危険なほど私の病気は進行していたようです。

私はこの病気がそんなに怖いものだと知らなかったのです。
死に至る場合もあると・・・

そして私の年齢10歳が生きるギリギリのラインであることを。
「早く退院したい。ここから抜け出したい!!!
一万人に一人と言われるこの病気が何故私に?何故私だけなの?」
隣のベットから何人もの退院していく友達を見送るたびに悲しさはこみ上げてきました。
消灯時間が過ぎて皆が寝静まった頃
私は隣で寝ている母が気づかないように、
声を殺して毛布をかぶって泣きました。

治療は、想像もつかないほど苦しく辛いものでした。24時間つけっぱなしの点滴。
抗がん剤もたくさん投与しました。抗がん剤は副作用がとても強く
、何度も何度も戻していました。
気分が優れない日が続き、気持ちが悪く、薬が飲めない時は一度薬を口にしてから戻し、その後また飲み直した
日も少なくありませんでした。ほとんど寝たきりの毎日。
赤い点滴は血管を圧迫するのか、痛くてたまらなく泣きながらしていました。それから「マルク」
と言って、腰の骨から血を抜きました。コレは腰が砕けるかと思うほどの痛さでした。

毎日と言っていいほどの採血に、4ヶ月以上のクリーンルーム。主治医、看護士、両親、先生以外は立ち入り禁止です。
狭い部屋にずっと押し込められて外の様子が全く分かりません。精神的にも肉体的にもかなり追い詰められました。



こんな私を救ってくれたのは家族の愛情のおかげだと今改めて思います。
母親は、いつも笑顔で元気付けてくれました。
病院の給食を受け付けない食欲のない私におかゆを作ってくれたり、
みかんなど、口当たりのいいものを探して、何とか私に食事をさせようとしてくれていました。
ビーズや、ぬいぐるみを一緒に作って飽きないように遊んでくれたりし、その事がとても楽しくてたまりませんでした。
父親はとは一緒に社会の宿題の県名の首都をゲーム感覚で
二人で覚えたり、パズルをしたり、採血の上手い看護婦さんランキングを作ってくれて、今日は「OOさん指名お願いします」と頼んだり・・・
祖母はたくさんの可愛いパジャマとおそろいの帽子作ってくれました。普通のパジャマだと点滴のひもが引っかかるため
両方の袖にスナップを付けてくれ、とても助かりました。
おかげでいつも私の衣装ケースはいっぱいで
看護士さんからは「桃ちゃん今日も素敵だね〜」って誉められて髪の毛がぬけてもへっちゃらだったしみんなの人気者でした。

私は11歳の誕生日を病院で向かえました。6月15日、水曜日の事でした。
その日もクリーンルームで、熱が38度近くあり、ベットに横たわっていました。
その頃、学生さんが達が私の身の回りのお世話をして下さっていました。廊下側から見えるクリーンルームの窓はとても小さく、
高い位置にあったのですが
そこから私と仲のいい学生さんが、誕生日プレゼントを廊下側から笑顔で手を振って見せてくれました。
プレゼントは小さな、「グリーンと真っ赤なペアの可愛い可愛いテディベア」でした。
「桃ちゃんの誕生日おめでとう。」とフエルトを二枚重ねにして刺繍した物がその上に添えられていました。
私は小さいながらにも胸が熱くなるのを感じました。
この誕生日は今でも私にとって忘れる事の出来ない思い出です。今まで生きてきた中で最高の誕生日です。
「どうやってあんな高い所から顔を出せたの?」と私が尋ねたら
「男の看護士Oさんがよんつばいになって、その上に私が乗ったんだよ〜」って教えてくれました。
想像するとなんだか笑っちゃうけど、本当に本当に嬉しかったのです。

退院して元気になってから私は中学で「生活部」と言う手芸中心の部に入りました。
そこでテディベアをたくさん作っていました。手芸が大好きだったのです。
彼女が結婚式の日に私は2匹の大きなテディベアを綺麗にラッピングして今度は私がプレゼントしました。
「嬉しいよ。ありがとう。」幸せいっぱいの彼女は目にうっすら涙を浮かべながらそういってくれました。

私は白血病になったけど、たくさんの優しい人々に出会えて、他の人が出来ない体験をたくさんし、
人の痛みが少しは他の人より分かる人間になれているんじゃないかって、そう思います。
辛い事、悲しい事がたくさんあった分、楽しい事、嬉しい事が他の人より
何倍にも何十倍にも楽しく感じられているんじゃないかなと思います。
「入院生活も結構楽しいな。退院したくない気もするな。」
父親からの誕生日プレゼントの日記帳の最初の一ページに私はこう結んでいました。

レポート完成。。。
これを岐阜で発表してきます。


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