WEB!! J.B.Pro.薔薇色の日々
ほしの・しらど



 作者の意図を知る

近所でちらほらと祭りのお囃子と、盆踊りの歌が聞こえてくる昨今。
今宵は、どこかの花火大会の音がした気も・・・。

昨日の夕刊を昼間眺めていたら、三谷さんが連載している欄に
京都を訪れ、壬生界隈を歩いた様子が載っていた。
八木邸や前川邸を訪れた三谷さんは、そこに息づく「身近な幕末」を感じていた。
まるで見て来た様に、新選組の様子を語ってくれる地元の人たち。

前川邸にある近藤さんの「落書き」を見て、三谷さんは戸板に書かれている
「努力」という字を「彼は板を外して下に置いて書いたのか、それとも立てたまま、書いたのか」と質問する。
「小説家の方々が色々来られたが、どう言う状態でこれを書いたか、なんて聞かれたのは初めて」と前川邸の方。

三谷さんは、「リアルに近藤の動作を表現しなくては」と脚本家として
しごく当然に浮かんだ疑問だったそうだ。
墨の垂れ具合から、おそらく外さずに、立てて書いたのでは、と言う結論になった。
夜、1人で戸板の前に座り、墨の垂れるのを気にしながら慎重に書く
近藤青年の姿を、三谷さんは好意的に想像していた。

この記事を読んで、今までの大河に対する一種の「うさん臭さ(失礼)」は、やや薄らいだ。

史実の有るもののドラマ化は、得てして独自の解釈を入れ過ぎたり、
諸作より目新しく描こうとして、サービス過剰なモノが多い。
特に新選組等をテーマにする場合、その数奇な運命を「独特な視線」から「描いてみました」という
「よけーなお世話だ。ばーろー」というモノが数多くあるように思う。
だから、新選組が題材のモノは、特に見たくないのが心情なのだ。

それは例えば商業誌のコミック化も、私にとっては同じ。
自分が新選組関連のマンガを描いてて「よく言うぜ」と突っ込まれるだろうけど、
同人誌と商業誌の違いを考えてみれば、私なんぞが描くモノの意義など小さい。
(私なりの同人誌と商業誌のスタンスの違いは、以前書き込んだ気がするので、ここではもう書かない)

他人によって、脚色されているモノが苦手なのかもしれないな。
自分で描く方だから、自分で脚色したいクチ。
ええ、わがままでしょうとも。
だけど、よっぽどの出来でないと、「与えられる新選組」もしくは
「見せられる新選組」に対して素直に「良いわ−vv」と乗れないのである。

しかし、この三谷さんの心構えは共感できる。
ドラマが出来て、はたしてそれらが描かれているかはわからない。
役者の度量や、色んな都合によって、三谷さんのこだわりが潰されている場合もあるだろう。
ただ、この記事を読めた事が、私にとっては、少なくとも大河ドラマ化に対して「プラス」になった事は事実だ。
読んで良かったと思った。

話は変わって、今ペーパーを仕上げなくてはいけない時期に、
イラストの仕事が入ってきた。
ええ、仕事です。お金貰うから(笑)
しかも、数点の作品を描いて、来週中には渡さないといけないのだ。
大変です。ホンマこの時期に(苦笑)

ちくと、ペーパーの速度が落ちると思うな。A4のCG描いてんのに。
でも入稿後で良かったよ。

てなワケで、夏コミまで真直ぐに準備できない私・・・。
新ペーパーを同封して通販再会しようと思ってたんですが、もう少しお待ちを(すいませーん!!)



2003年08月02日(土)
初日 最新 目次 HOME


My追加