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■ 作者の意図を知る
近所でちらほらと祭りのお囃子と、盆踊りの歌が聞こえてくる昨今。 今宵は、どこかの花火大会の音がした気も・・・。
昨日の夕刊を昼間眺めていたら、三谷さんが連載している欄に 京都を訪れ、壬生界隈を歩いた様子が載っていた。 八木邸や前川邸を訪れた三谷さんは、そこに息づく「身近な幕末」を感じていた。 まるで見て来た様に、新選組の様子を語ってくれる地元の人たち。
前川邸にある近藤さんの「落書き」を見て、三谷さんは戸板に書かれている 「努力」という字を「彼は板を外して下に置いて書いたのか、それとも立てたまま、書いたのか」と質問する。 「小説家の方々が色々来られたが、どう言う状態でこれを書いたか、なんて聞かれたのは初めて」と前川邸の方。
三谷さんは、「リアルに近藤の動作を表現しなくては」と脚本家として しごく当然に浮かんだ疑問だったそうだ。 墨の垂れ具合から、おそらく外さずに、立てて書いたのでは、と言う結論になった。 夜、1人で戸板の前に座り、墨の垂れるのを気にしながら慎重に書く 近藤青年の姿を、三谷さんは好意的に想像していた。
この記事を読んで、今までの大河に対する一種の「うさん臭さ(失礼)」は、やや薄らいだ。
史実の有るもののドラマ化は、得てして独自の解釈を入れ過ぎたり、 諸作より目新しく描こうとして、サービス過剰なモノが多い。 特に新選組等をテーマにする場合、その数奇な運命を「独特な視線」から「描いてみました」という 「よけーなお世話だ。ばーろー」というモノが数多くあるように思う。 だから、新選組が題材のモノは、特に見たくないのが心情なのだ。
それは例えば商業誌のコミック化も、私にとっては同じ。 自分が新選組関連のマンガを描いてて「よく言うぜ」と突っ込まれるだろうけど、 同人誌と商業誌の違いを考えてみれば、私なんぞが描くモノの意義など小さい。 (私なりの同人誌と商業誌のスタンスの違いは、以前書き込んだ気がするので、ここではもう書かない)
他人によって、脚色されているモノが苦手なのかもしれないな。 自分で描く方だから、自分で脚色したいクチ。 ええ、わがままでしょうとも。 だけど、よっぽどの出来でないと、「与えられる新選組」もしくは 「見せられる新選組」に対して素直に「良いわ−vv」と乗れないのである。
しかし、この三谷さんの心構えは共感できる。 ドラマが出来て、はたしてそれらが描かれているかはわからない。 役者の度量や、色んな都合によって、三谷さんのこだわりが潰されている場合もあるだろう。 ただ、この記事を読めた事が、私にとっては、少なくとも大河ドラマ化に対して「プラス」になった事は事実だ。 読んで良かったと思った。
話は変わって、今ペーパーを仕上げなくてはいけない時期に、 イラストの仕事が入ってきた。 ええ、仕事です。お金貰うから(笑) しかも、数点の作品を描いて、来週中には渡さないといけないのだ。 大変です。ホンマこの時期に(苦笑)
ちくと、ペーパーの速度が落ちると思うな。A4のCG描いてんのに。 でも入稿後で良かったよ。
てなワケで、夏コミまで真直ぐに準備できない私・・・。 新ペーパーを同封して通販再会しようと思ってたんですが、もう少しお待ちを(すいませーん!!)
2003年08月02日(土)
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