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■ ありがとう!お疲れ!!
もう2月ですな〜。 ここ数日と言うもの、日付けの感覚がなかったのですが、ついに、と言うか、いつかは、というか…。 1/30に入院していた友達が亡くなりました。 享年35歳です。
30日の朝に息を引き取られ、その晩に通夜を行い、翌日の31日に告別式でした。
私は二日間とも参列して、彼女の今までの闘病生活をねぎらいました。
本当に辛くて恐くて底知れぬ戦いを彼女はしてきたと思います。 私達、親しい友が出来るコトと言えば、見舞いの際にバカ話ばっかりすることでした。 彼女がそれで笑ってくれると一緒に楽しかったし、意識がはっきりしなくなった後期にも、私達が呼び掛けた声にまぶたを動かしてくれるだけで、その反応を喜びました。
同じ年の二人の子供をもつ母親として、彼女の発病と闘病に直に触れるに付け、真剣に子供や旦那のコト、家族と言うものの意味を考えたし、色んな心の準備ももらいました。
苦しみから解かれた彼女の顔と遺影は穏やかであり、凛としたもので、私だけでなく、他の友達も彼女のかつての笑い声しか耳に聴こえて来なかったと言ってました。
彼女の実家の方に転校して行ってた、彼女のまだ小1の長女と保育園の長男は、久しぶりに見るウチの息子達や他の友達に会えた嬉しさで、走り回ってましたが、今まで彼女と共に苦しんで泣いて来たのを知っているだけに、切なくてたまりませんでした。
彼女は、余命3ヶ月と言われてから1/30まで、じつに7ヶ月を生き抜きました。 凄いと思います。 子供の将来を心配しながら、その成長が見届けられないのが辛いと言っていた彼女は、それを力に、最後まで生きようとしていました。 自分がいなくなって、忘れられて行くのが辛いと哀しんでました。
そんなわけないやん。 忘れられるワケないやん。 あんたが生きてた事実はみんな忘れへんよ。 これからも私らダチと一緒に生きて行こうな。 と、遺影に心の中で語りかけました。
ホンマにお疲れさまでした。 またいつかどこかで巡り会いたいよ。
ありがとうな。
二日間、式の間ずっと雨を止めてくれてありがとうな。 今度は大病せん身体で生まれといでや。
また四十九日前に会いに行くで(^^)!!
2006年02月01日(水)
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