帰宅時、車を走らせてきて、自宅が視界に入ってくると、 今も時おり、不意に思い出すことがある。 我が家は門のすぐ隣に車庫があり、帰宅したときは、車庫に 車を入れてから、門を通って、家の敷地内に入ることになる。 かつて来夢がいた頃、来夢はいつも、門の横か、車庫の屋根 (コンクリート造りの平屋根、シャッターのすぐ上のところ)に ちょこんとすわって道路を見下ろしながら、私を待っていた。
来夢は出入り自由だった。いつでも外に出入りできるように、 来夢のための猫ドアを、ベランダの両端に作ってあった。 (ちなみに、この猫ドアは来夢が逝った日に閉じてしまい、今は 封印している。二度と開けることはない) 家が近づくと、車庫の上か門の横かどちらかに、来夢の白い姿が 見えて、いつもそれが嬉しくて、その姿が愛おしかった。 来夢が逝った後もしばらくの間は、帰るたびに、門のところに、 あるいは車庫の上に、まだ来夢がいるような気がして、毎回、 分かっていながら、ついつい白い猫の姿を目で探し続ける自分に 気づいて、苦笑いしたものだった。 やっとのことでその幻影が薄れていったのは、リブが来てくれたから… かもしれない。
でも昨日、また久しぶりにその幻影を見た。 車を運転して走ってきて、我が家が視界に入ったとき、門の脇の ところを歩く白い猫を見た。ギクリとして目を凝らす。 向こうに向かって歩いていたので後ろ姿しか見えず、顔を見た わけではない。でも、全身真っ白の大きな猫だった。全身一色だと (白や黒猫だと)顔を見なければ、みんな似たような感じではある。 一瞬、追いかけようかと思ったくらい心が揺れた。。。
家の前に車を停めて降りたとき、その姿は、角を曲がって 視界から消えた。追いかけたってどうなるものでもない。 単にご近所の猫が通りかかっただけなのに…と、ひとり苦笑い。 でもこんなとき................... 来夢は今も確かに、心の奥深くに存在するのだと思い知らされる。 思い出は懐かしさだけではなく、今も心を疼かせる。 うす曇りの中に暖かい風を感じる昼下がりだった。 あの白い猫の後ろ姿は、春霞の中で見た幻だったのかもしれない。
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