みょうの日記
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たまには真面目に・・・ということで。 最近聞いた話によると日本人は他国に比べて無宗教が飛びぬけて多いというデータ結果が出たそうな。 かくいう私も・・・特に信心しているものはない。しいて言えば、ご先祖さまにという典型的な日本人ではないかな。「精神安定を図るためには宗教が不可欠なのである」という意見を聞いたことがある。それでいくと日本人は拠り所となる宗教を持たずになぜ生きていけるのか。
実は日本人には日本人独特の宗教観を持っていると私は思う。 日本人は人間以外のものを人間と同等に思う思考をもっている。これは意識的に持つ感覚ではない。無意識のうちにそう感じてしまう。生き物ばかりか時に物にまで宿るものがあるのだと認識する。供養する対象が生き物ばかりか人が人形であったり針であったりと物品にまで及ぶのはそのためだ。 簡単に言えばそれは【念】という概念だ。 そこにはたぶん「自分だったらこういうときここに宿ってしまうかもしれない」と思い、であるなら誰かの念がそこに宿っていてもおかしくはないと考えてしまう。またそれをつくりあげた人がどれほどの思いを込めて完成させたのかを想像し、それだけ思い入れたものであるならその器に【念】が存在することもあるだろうと感じてしまう。 自分に置き換えて考える、というのは日本人が国際社会で「良くない」と評価されている自分を出さない性質にも顕れている。 古来、日本人は相手のちょっとした仕草で「ああ、あんな反応は自分だったらこんなときにするな」と察することで相手の感情を解していた。 言葉が足りなくても互いに感情を察しあうことで日本人は人間関係を築いてきた。 そういう文化のない国の人にとって、それは自分の意見をはっきり言えない優柔不断な人種と映るのだろう。
「神」という存在もその一つだ。 日本古来からの「神」という存在は、【念】と表裏一体だ。そこに少しでも何某かの心を感じれば、日本人は人に計り知れない何か――つまり【念】と捉え、またその一部を「神」と認識する。「神」とそれ以外の何かを分けるのはとても曖昧だ。はっきりさせない性質というのがここにも顕れている。 その曖昧さが「神」という存在から他の宗教のような絶対的なものという感覚を消す。それが絶対神をもつ人種から見れば(日本人自身でさえ)日本人は信仰心を持たないと思われる所以ではないだろうか。 日本人の「神」は遠い高見から支配する「神」ではない。時に人間よりも生々しくそこにいるものだ。 ときに過ちさえ犯すものだ。 そのため、まったく正しい絶対の神という存在に懐疑的になる。 計り知れない存在というものを完全否定できる人は存在しないだろう。それは無神論者と言われる日本人でさえ心のどこかにそういう部分を無意識にでも持っている。だから日本人が特に超現実的な人種であり、信仰心を持たない人種であるというわけではないのだ。
つまり、日本人の宗教観とは何某かの存在(それが神であれ何であれ)をごく身近に感じるものであり、他宗教観は何某かの存在を遠く遠く人智の及ばない絶対的なものと感じるものであるために、かみ合わないだけなのだと思う。 信仰の根本が違うのに、一方の思想に無理に当てはめようとするのだからお互いに違和感を覚えても仕方ない。
・・・というのが私の考えなんだけど・・・、道を歩いているときにふと思い立ったことなので、えー、自分でもあんまりまとめられなかった。何を言ってるんだろうねぇ。
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