みょうの日記
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2006年10月03日(火) 目をつぶるにもほどがある

子供が自ら命を絶つというのは痛ましい。

考えてみれば、自分が小さい頃も確かに「いじめ」は存在した。けれど、周りを見回してみれば、世の中のあらゆる事象は昔とは考えられないくらい進化を遂げ、情報媒体も飛躍的に増えた。
つまり、子供の感性ばかりが昔と変わらないものであると考えるのはおかしいのである。
子供は吸収が早い。
大量の情報を貪欲に取り込み、時に大人もたじろぐほどの賢しい知恵を身につけている。もしかしたら本人さえもそうと気づかないうちに。
他人に対する気配りもまだ未熟な子供たちは、その分攻撃の手もえげつない。

頭の固い大人ばかりがその感覚についていけないのだ。

子供は無邪気な存在などという覆いを取り除いてみてはどうだろうか。実は驚くほど、したたかな存在がそこにいる。
大人は、子供に負けないようにしたたかに強く導く存在でなくてはならないと思う。
実はそれほど大した存在ではないのだと気づかせるのは、子供たちが大人になった時でいい。

遺書を残して亡くなってしまった子供。
その子の、血を吐くような思いが伝わるその遺書を、あくまで手紙と言い放ち「いじめ」とはっきり言葉に書かれていないから「いじめ」があったかどうかは確認できない、などというような頭の悪い受け答えしかできない者が教育委員の人間だとは、これはもう子供たちに「大人を馬鹿にしてください」と言っているようなものだ。
まさか本気で言っているわけではあるまいが、本気で言っているとしたらたちが悪すぎる。
7通もの遺書の、あの内容が彼らの脳に理解できないとは・・・。

あの頭の中にはオガクズしか入っていないのだろうか。


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