闇鍋雑記帳
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こんにちは。おかね坊でございます。
8/5に夫実家の祖父が亡くなりました。96歳と丁度1ヶ月。 明治43年生まれ。明治・大正・昭和・平成と4つの時代を生き抜いた96年でございました。 ですが、子供に返ることもなく、いつもビッシリと日記を書き、文章を書き、それらが新聞等に掲載されることもありました。 いつでも矍鑠(かくしゃく)として頭脳明晰であり、亡くなるほんの数時間前までも家族を想う祖父でした。 その顔は穏やかであどけなく、本当に眠っているようでございました。大往生でございます。
祖父の訃報を聞き、独身時代に来ていた礼服が入るかしらんと心配になってしまいました。 独身時代はガリポソの骨川筋右衛門だったワタクシは、当時7号〜9号の華奢なサイズでありましたが、現在は13号くらいでないと入らない立派なオカン体型でございます。 礼装は9号サイズ。ドキドキしながら試着してみましたが、ちょっとミッチリしているものの、ギリギリセーフで入りました。 すんばらしいですわ〜!!腹が気になりますけれど。 何とか着ることが出来ましたので、急いで準備をしいつでも出かけられるように致しました。
そして実家に到着。 祖父は仏間に安置されておりました。 葬儀も機動力のある親戚が結束して行いましたので、ワタクシの出番は殆ど無く、嫁としてこれで良いのか・・・?と焦燥するばかりでございました。 プニプニも夫の従兄弟達に遊んで貰い、大喜びでございました。 葬儀の間もただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、それほど騒ぐこともなくよく頑張ってくれましたので、寝る前に毎日「プニ坊、今日はよく頑張ってくれたね。ありがとうね。ひいじいちゃんも『偉いなぁ』って、きっと褒めてくれているよ。」と言いました。
通夜の席にはマイミクさまのすぎうらさんが駆けつけてくださいました。 多分すぎうらさんとお話するのは高校以来ですので、十数年ぶりになることかと思いますが、良いお父さんという感じになっておりました。 すぎうらさん、その節はお忙しい中ありがとうございました。
午後10時までは祖父の子供である叔母達が、それ以降は孫達が祖父を見守りました。 ワタクシはプニ坊がいますので、他の皆さんにお願いしてご無礼致しました。
翌日の葬儀は朝から大至急で着付け。学生時代にアルバイトをしていた美容院の先生にお願いしました。 手際の良さでは天下一品の先生です。着付けもしっかりとやってくれますので安心でございます。
葬儀の前に、祖父の大切にしていた辞書、あちらでも文章を書く事が出来るように原稿用紙と鉛筆やボールペン、そして祖父のそばにいつでも控えていた犬のシンタロウ(チンタ)の毛を少し入れて棺に納めました。 寂しくないように、いつでも撫でられるようにという義妹の配慮でございます。 祖父の辞書は使い込んであってボロボロでございました。 それを綺麗に補修しては使っていたようで、本当に勉強熱心な祖父だったのだなぁと偲ばれます。
葬儀も滞りなく終わり、火葬場へ。 焼き上がった祖父の骨は、小柄な身体の割には太くて驚きました。ですが一番下の叔母と共に背骨を持つともろく崩れてしまい、年齢を感じさせられました。 その後、式場に戻り和装から洋装にチェンジ。三日七日を終わらせてから精進落としへ。 宗派によってずいぶんとやり方が違うのだなぁと、義弟嫁と話をしておりました。
精進落としを終えてからは、バタバタと片付けでございます。 夫は仕事が詰まっていますので、どうしても職場に行かねばなりません。そんなわけで、喪服のクリーニングと肌襦袢と裾よけと足袋を洗うのは義母にお願いし、その他の小物類のアイロンがけと片付けは来週行った時に後片付けをする事に致しました。
ワタクシの実家に挨拶に行きましたが、たまたま母不在。 後で聞けば、親戚に香典返しを持って行っていたそうでございます。つか不用心すぎです。さすが田舎。 プニ坊はここのところの緊張感から解放されのと、疲労がピークに達していたようで爆泣きしておりましたが、車に乗った途端にスヤスヤと寝てしまいました。 この小さな身体でよくぞこの怒濤の3日を耐えてくれたと思います。 無事に家に戻り、少し休憩をしてから倒れるように皆で寝入ってしまいました。
強行スケジュールではありましたけれど、皆が満足のいく形での祖父との別れだったのではないかと思いました。 お祖父さんありがとうございました。 ワタクシは生まれた時には既に父母両方の祖父がいませんでしたので。短い間でしたが「祖父」という存在の大切さを教えてくれました。 プニ坊も貴方のことが大好きだったのですよ。 天上でどうか歴代のおじいさん達、おばあさん達と見守っていてくださいね。
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