月の輪通信 日々の想い
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急に涼しくなってここ数日。 高校生組は今週から、始業式前の登校日やらクラブやらでほぼ平常モードの登校になる。 小中学生は、そろそろ宿題のお片づけ期間。うだうだぐずぐず言いながらやっつけ仕事で課題の山と闘う。 父さんは月末搬入予定の個展の追い込み。工房はピリピリ、「触れると噛むぞ!」の空気が流れる。 そして母は今年も名簿入力の宿題を課されて、キーボードとにらめっこ。
宿題プリントとの戦いに疲れたアプコが、窯の合間に息抜きに帰ってきた父さんにじゃれる。 「箸がこけても笑えちゃう」お年頃のアプコには、徹夜明けの父さんの気の抜けた駄洒落が可笑しくて仕方がない。 ケラケラと転げまわって笑うアプコに、父さんの表情がほにゃほにゃと緩む。 あらら、この人たち、なかなかいいコンビネーションだわ。
「ええなぁ、アプコは。何の悩みもないみたいで。」と父さんが笑う。 「ホンマ、小学生はお気楽でええなぁ。」 「僕も、小学生に戻りたいわ」 と横から意地なオニイオネエが絡む。 「アタシにだって、悩みくらいあるわぁ!」とアプコがムキになって言い返す。 「たとえば、夏休みの宿題が終わってないとか?」 「ラジオ体操の早起きするのが嫌とか?」 「どっちにしても可愛いもんだねえ」 次々に突っ込まれて、アプコ、ぷっと膨れっ面だ。
「アタシにだって、ほんとに悩みくらいあるもん。 ホントの悩みは、お母さんだけがみんな知ってるもん。」 と、いきなりのご指名。 はぁ、アプコさんのホントの悩みですか? 宿題でも、早起きでもなくて? そうですか、母、教えてもらってましたっけ? こりゃ、困りました。 「お母さんも知らないよ。」とは、とても言えなくて、 「うんうん、アプコにだって、真面目な悩みもあるんだよねぇ」としどろもどろで調子を合わせる。 後から父さんに、「で、アプコの悩みって何なの?」と問われて、「実は皆目判らないのよ」と答える情けなさ。
長い夏休みを日々享楽的に過ごす天真爛漫のアプコ。 ケラケラとよく笑い、嫌なことにはあかんべぇをし、皆より先に一番に「これ食べたい!」と好きなアイスを選んでも「しゃあないなぁ」と笑って許してもらえる。 「やらなければならないこと」より「やりたいこと」が最優先。 それで後から困ったことになっても、きっと誰かが助け舟を出してくれるとタカをくくっているように見えるアプコ。 傍目にはのんきな末っ子姫であるアプコの胸に、いったいどんな悩みがあるのだろう。
それにしても。 「私の本当の悩みは、この人だけが全部知っててくれる」ときっぱり言い切れるこの絶対的な信頼感って何なんだ。 手放しで母の手に悩みのすべてを預け、そのことを臆面もなく「だよね」と明かすことのできるアプコの爛漫。
夕餉の前の台所で「ねえねえ、おかあさん」とうるさいくらいに纏わりついてくる他愛無いおしゃべり。 登下校の道すがら気まぐれに教えてくれる教室での出来事。 買い物に行く車の助手席で鼻歌混じりに繰り出すダジャレやジョーク。 「はいはい」「そうね」といい加減に聞き流している沢山のアプコの言葉の中に、アプコの「ホントの悩み」と言うヤツが潜んでいたのだろうか。 だとしたら私は、きっとその半分も掬いあげることが出来ないでいる。 いいのか、母。そんなことで。 いいのか、アプコ。こんな母にそんな手放しの信頼を預けて。
「母さんには言ってもわかんないよ」 「うん、判ってる。でも、これ、僕の問題だから・・・」 「ちょっと待ってて。後で説明するから」 親の背丈をとうに追い越した上の子達は、自らの心に強い城壁を築きはじめた。母はその厚い門扉の隙間から、子ども達の柔らかな心のひだを垣間見ようとうろたえるのみ。 それが成長と言うものなのだろう。 とすれば、アプコの「おかあさんが知ってくれるから大丈夫。」という強固な信頼は、彼女の愛すべき幼さの証。 まだまだ母には、「全部知ってるよ」の包容力と「何でも判ってるよ」の演技力が要求されているのだろう。 重いなぁ、アプコ。 重すぎるよ。
結局、いろいろ鎌をかけて訊いて見たけど、アプコの「ホントの悩み」の正体はわからなかった。 生まれては消える泡ぶくのような、ささやかな気まぐれの悩みにすぎなかったのか。 改めて言葉にして告げるには難しい、深く芯に残る悩みだったのか。 浅薄な母の推理力では、もはや推察不能。 少し時が立てば、全く悩みのない顔をしてケラケラと笑い転げるアプコ。 しばらくは、小鳥のようにかしましいアプコのおしゃべりをしっかり耳を済ませて聴いてみよう。
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