月の輪通信 日々の想い
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9日から15日、梅田大丸で展覧会。 義父、義兄と3人での茶陶展。
地元での展覧会のときには、いつも子どもたちが揃って会場へ見に行くのだが、今回はそれぞれのスケジュールが合わず、分散して出かけることになった。 初日には、文化祭の代休のアユコが父さんと一緒に出かけて行った。 今日は、アプコと私が義父母とともに父さんの車で会場入り。 ゲンは明日、京都から出てくるオニイと会場で待ち合わせするのだという。
10年程前には、ベビーカーの赤ん坊も含めてコロコロと目の離せない幼い子どもたちを引き連れて、デパートの静かな美術画廊へ出かけていくのは本当に大仕事だった。 都会の空気に弱い田舎者の子どもたちは、混雑した人ごみの中にいると誰かが必ず「頭が痛い」とか、「足が痛い」とか言い出す。 退屈した子どもらを紛らわせるためのお菓子や飲み物をたくさん用意し、おもちゃ売り場や書籍売り場へ時間つぶしにいったりもした。 そのころに比べると、それぞれが自分のスケジュールに合わせて出かけて行ってくれるようになって、なんと身軽になったことか。 初日に第一陣として出かけて行ったアユコは、久々に父娘でのランチを楽しんで上機嫌で帰ってきた。
今日、義父、義母を連れて、父さんの車で会場入り。 ここ数年、腰を痛めすっかり歩行が困難になった義父と、たびたび貧血様の発作を起こす義母を連れての外出は、大仕事となってきた。 駐車場から会場、会場から食事場所までのわずかな移動にも思いがけない時間がかかる。しかも二人の歩行のペースが違うので、付添要員は複数いるほうが望ましい。 ということで、アプコにも動員がかかった。
赤ん坊のころから、おじいちゃんおばあちゃんの近くで育ったアプコは、兄弟の中でも一番年寄りとのコミュニケーションの取り方がうまい。 繰り返し繰り返し聞かされるおじいちゃんの昔話には辛抱強く相槌を打ち、おばあちゃんのうっかりミスには自分も気がつかなかった様な顔をしてさりげなくフォローに回る。 おじいちゃんおばあちゃんのほうでも、相手が幼いアプコだと「世話をしてもらっている」とか、「手伝ってもらっている」とかという負い目を感じることもなく、気が楽なのだろう。 外出のお供にアプコがついてくると、二人ともご機嫌がすこぶる良いような気がする。 すんなりと背が伸びたアプコが、おばあちゃんと腕をからめ合い、内緒話でもするように寄り添って歩く後ろ姿は、なんとなく良い。 ちょっと涙が出そうになる。
「お母さん、あのね。あたし、ちょっと、ああいうの、苦手やねん。」 義父母のいないところでアプコがこそっとつぶやいた。
すっかり腰が曲がって、数十メートルの移動にも休憩が必要になった義父は少しでも座れる場所を見つけると、もれなく腰をかける。 今日の展覧会場でも、少し離れたお手洗いへ行った帰り、貴金属売り場に置かれた椅子に崩れるように座り込んでしまわれた。そこには「商談用」という札が置いてあって、明らかに休憩のために設けられた席ではない。 帰りの遅いおじいちゃんを気にして迎えに行ったアプコが、その場に居合わせることになった。 もちろん、見た目にも歩行が困難であることのわかる義父に対して、そのことを咎めた人があったわけではない。売場にはたまたま人も少なかったし、おじいちゃんの休憩もほんの数分の短いものだ。 大人にとっては別にどうということもない一コマだけれど、生真面目な小学生のアプコにとっては、本来座るべき場所でない席にどっかと腰を下ろして休憩するおじいちゃんのそばに付き添っているのは、何となく気恥ずかしく気まずい思いをしたのだろう。
おじいちゃんの行為を「恥ずかしい」と思ってしまう気持ちと、 堂々と付き添っていられない自分自身を「恥ずかしい」と思う気持ち。 その入り混じったぐちゃぐちゃとした空気が、アプコのいう「苦手」なのだろうと思う。 「おじいちゃんはもうお年寄りだし、少し歩くのもあんなに大変なんだから、少しくらい変なところに座ってしまわれてもOKなのよ。」 と、いくら言い含めたところで、何となく居心地の悪い、もやもやとした「苦手」はなかなか晴れない。 そのことをも含めて、「労わる立場」の務めの一つだということを、これからアプコは時間をかけて学んでいくだろう。 「商談用」の椅子で休憩するおじいちゃんに、「早く行こうよ」と急かす言葉を吐かなかったアプコはもう、そのことを学ぶ入口にいる。 有難いことだなぁと、私は思う。
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