私の生き方
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2002年02月12日(火) あれから・・・

夕飯は・・・
ちゃんと、”すき焼き”でした。


あら。心配してくれたの?悪いわね。
ありがとう。(誰に言ってるのだ?あちきってば!笑)


結局、祖母は・・・
巻き寿司・ドレッシングなしのサラダ・豆腐・豆類でした。


味気の無い病院の御飯を食べなくてよくなっても、塩分控えめの味の
無いものを食べるのは変わりないようです。
動物性タンパク質もダメ!塩分もダメ!
慣れるまでかなり過酷な御飯です。
お薬も朝晩と2種類もありかなりつらそう。。
でもまだ、形のある食事をとれるだけマシ?かな〜。。
(流動食なんて考えられない〜)


いまだ右足と左腕の30センチくらいの手術の傷は痛々しく残っており、
しかも、皮膚がつっぱっている。見るからに痛そうである。
今はまだ洗濯も食事も人にまかせっきりだけど、それでも一日でも早く
よくなって欲しい、と願うのみの私。


私の母は長女で、本来なら世話して見るべきなんだろうけど、病院からも
遠いし、なんたって借家で客室がなくって呼びたいのだけど、断念している。
だから、神戸にいるトラック運転手、独身の長男でもなく、
訳有り離婚したバツイチの病院から近い次男のとこに寝泊りしている。
といった状況。
そこには21歳の娘がいるのだが、世間でいう無職プー太郎で、これまた困ったもんだ。
自分の事も家の事もままならないし、こんな娘に祖母の世話が出来るのか一抹の不安。
ま、悪い子ではないんだか、口が悪いっ!!
30の私をも蹴散らす感じ。。
話してて、『ウォィ!!!』と言いたくなる。
幼い頃からの家庭環境がこうさせたみたいで私には今更とやかくいう筋合いないけど・・・。




だから、
次の休みにまた様子見に行こう!と母と相談してる矢先の事。
「明日からまた仕事入ったから。。。」と今日残念な報告有り。


あ〜あ。
また週末になってしまうんだね。


ばーちゃんに会うの。。。



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