私の生き方
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2002年04月27日(土) 家庭の事情2

私が高校卒業するまで、母は夕方〜深夜まで、小料理屋を経営してた。
お店って別に大した事ない。なんて思っていた学生時。
今では切り盛りも大変だったんだろうなぁ〜。
年度年度の申告とかも大変だったろうなぁ〜。って、大人になってから思う今日この頃。
ちなみに家からお店まで自転車で10分。
小さなお店でお好み焼き用の鉄板大きいの一枚とカウンターに10席程度。
土曜日の昼間は私の学校帰りも待ちつつ、仕込みをしながらいつもお昼には母特製
「お好み焼き」と「スター誕生」っていうTVを観てた記憶うっすら有り。
高校にもなるとたまには私の友達呼んで、タダで食べさせてあげたり。
そんな事ももう淡い記憶。
私が高校卒業時、このお店は閉店に。
もしや、私の給料を当てに?なぁ〜んて考える余地なく、母は父の手伝いに。
可哀想に。年を取ってから、肉体労働させられるとは・・・。
このとき、私は実家から仕事場までバイク(原付)で10分のところに勤務。
三菱の下請け工場に入る。
三菱といえば、車、電化製品等浮かぶであろう。
私のところはTVなどの電化製品のIC(集積回路)を作っていた。
ちゃーんと親工場から工程があり、最後の最後の大事なところでの作業。
目視で検査、顕微鏡で検査、また次の工程で検査。
それから梱包。機械での梱包も有り。
手作業で袋詰め。
ラベル貼り。
バイオフという二人一組で出荷前の作業。
そして出荷。


・・・


こういった作業を5年にかけて全部習得してしまった自分。
最初の3年はイジメにも合い、涙で絶えてきた。
同期入社した子はどんどん辞め、給料と率がいいところへ。
そしてひとりぽっちに。ほとんどがおばさんか後から入った長く続かない若い子か、だったので一匹狼で過ごしていた私。
それを見てか知ってか?上司から「交代制」の話が持ち上がる。
ひとつ返事でOK!朝は5時半とか早いけど、昼までだし。
昼から入って夜10時まで。の交代制。
二人一組で頑張ってきた半年間。
仕事をする上での上司への不満もあり、周りのことが見えてくる5年目。
そして家を出て一人暮らしが始まる年でもあった。
そして、あるきっかけがあってそこを辞めた・・・。







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