私の生き方
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私が高校卒業するまで、母は夕方〜深夜まで、小料理屋を経営してた。 お店って別に大した事ない。なんて思っていた学生時。 今では切り盛りも大変だったんだろうなぁ〜。 年度年度の申告とかも大変だったろうなぁ〜。って、大人になってから思う今日この頃。 ちなみに家からお店まで自転車で10分。 小さなお店でお好み焼き用の鉄板大きいの一枚とカウンターに10席程度。 土曜日の昼間は私の学校帰りも待ちつつ、仕込みをしながらいつもお昼には母特製 「お好み焼き」と「スター誕生」っていうTVを観てた記憶うっすら有り。 高校にもなるとたまには私の友達呼んで、タダで食べさせてあげたり。 そんな事ももう淡い記憶。 私が高校卒業時、このお店は閉店に。 もしや、私の給料を当てに?なぁ〜んて考える余地なく、母は父の手伝いに。 可哀想に。年を取ってから、肉体労働させられるとは・・・。 このとき、私は実家から仕事場までバイク(原付)で10分のところに勤務。 三菱の下請け工場に入る。 三菱といえば、車、電化製品等浮かぶであろう。 私のところはTVなどの電化製品のIC(集積回路)を作っていた。 ちゃーんと親工場から工程があり、最後の最後の大事なところでの作業。 目視で検査、顕微鏡で検査、また次の工程で検査。 それから梱包。機械での梱包も有り。 手作業で袋詰め。 ラベル貼り。 バイオフという二人一組で出荷前の作業。 そして出荷。
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こういった作業を5年にかけて全部習得してしまった自分。 最初の3年はイジメにも合い、涙で絶えてきた。 同期入社した子はどんどん辞め、給料と率がいいところへ。 そしてひとりぽっちに。ほとんどがおばさんか後から入った長く続かない若い子か、だったので一匹狼で過ごしていた私。 それを見てか知ってか?上司から「交代制」の話が持ち上がる。 ひとつ返事でOK!朝は5時半とか早いけど、昼までだし。 昼から入って夜10時まで。の交代制。 二人一組で頑張ってきた半年間。 仕事をする上での上司への不満もあり、周りのことが見えてくる5年目。 そして家を出て一人暮らしが始まる年でもあった。 そして、あるきっかけがあってそこを辞めた・・・。
RED
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