2002年04月18日(木) |
装置としての言語行為。 |
ラジディ所感。
仕事の都合で途中からの入場。半分くらいしか観られなかった。 で、印象としては、 「言葉を装置として使っている」そんな感じ。
「言葉」じゃなくて「言語行為」と言ったほうが適切かもしれない。 言語活動よって生じる種々の事象を装置に転換する技術。 それには一般に言われる「詩」が用いる、「言葉の意味」に留まらない。 「言葉の意味」は、言語行為によって生じる事象のひとつに過ぎない。 ラジデイの作品がときどき 詩ではない、あるいはリーディングではないと言われるのは、 おそらくそのあたりの要因によるものなのかな、と。 彼ら自身も自分たちのしていることを、 「言葉のパフォーマンス」と定義している。 個人的には、それが詩であるかどうかなんかどうでもいい。
終わったあと「 Po-s.net 」の河井澪さんがインタビューしてたので、 それを少しだけ立ち聞き。
「我々のパフォーマンスを手放しで面白いと言われるのは、ユニットとして危機的状況だと思う。我々は<疑問>を提示し続けていたい。そしてその疑問を観客自身に考えて欲しい。一方通行の情報提示に対して、我々は常に危機感/嫌悪感を抱いている」
というような話をしてた。
詩学の寺西さんといろいろ話し込む。 これまで話し合ってきたことにとりあえず目鼻がついたので、 来月あたりには詩学社から何らかの告知があると思う。要チェック。 編集長の篠原さんともご挨拶。サイト運営についていろいろ尋ねられた。
「 さがな。 」主催の松本和彦さんともちょっとだけ話す。 長澤忍さんが上京してきたときの場のセッティングを依頼。 あと、「最近のネット詩は停滞している」という意見で合意。 個人的には、投稿掲示板という存在が ネット詩の発展における障害になりつつあるのではないかと思っている。 ま、要はやり方次第なのだけれど、 投稿コーナーの“無目的”的な設置が、 ネット詩を悪循環に至らしめる要因のひとつになりつつあるような、そんな印象。 そういう意味では「痙攣」のような同人誌、 あるいはweb詩誌などの活動に期待している。 投稿コーナー自体は、 ワークショップあるいはそれに類する不可価値を付けないと 今後生き残っていけないと思う。
もうひとつ。 上田假奈代さんともいろいろ話す。 假奈代さんと一緒に何かできそう。 おそらく8月あたりに何らかの告知をします。
ま、こんな感じでいろいろ収穫あり。 収穫ついでに某女の子の電話番号もゲット。 今週中に電話すると思うけど、 ビックリしないでね(笑)。
あ、あと、竹上泉さんも傍聴で出席する予定。
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