2005年10月24日(月) |
生きていたってただの肉。 |
はっきり言って 私は現実主義者である 金で買えないものは無い つまりは全て金で買える かといって 例の村上ナニガシやら ITヒルズ族やらに 同調しているわけではない 寧ろ 惨めさすら覚えるわけで 確かに 上場して株式を店頭公開しているのであるからして 買うのは自由 買収防衛策をしていないのは 企業の責任 至って正当な論理ではあるが 正当な論理であるからと言って それが正しいとは限らない つまり 金で何でも買えるからといって 買っちゃいけないものが 世の中にはあるということを 彼らは気づいておらず 寧ろ欲望の権化にしか私には映らないのだけれど 同様に 私は現実主義者であるが故に 全ての人間が必要な存在で アナタの代わりなんていない なんてことが世の中にあるはずも無く 全ての人間が不必要で アナタ一人いなくなったところで 代わりの人間が 次から次へとでてくる 現実はそうだ だからといって アナタ一人が死んでいいわけでもなく アナタ一人が傷ついていいわけではない むしろ 不必要であるからと言って 死ぬ必要も傷つく必要も これ全く ないわけだ 物事の本質は そこにある 表面だけでなく 多面的側面から考察することに 真実が隠されているわけで 例えば パンティ ショーツとかインナーとか言うんですか若者は まあパンティ 世の多くの男性が 階段の下やエスカレーターの下でパンチラの瞬間を 伺っているのも そもそも女性がパンティを見られるのが 恥ずかしいという概念 からであるわけで 私もそれが正しいと思い生きてきたのだけれど ところがどうだい 昨今のローライズブーム ステレッチパンツブームによって 女性のパンティは より露出が多くなった 腰からパンティがはみ出たり 尻にフィットするが故に パンティラインが浮出して なんならその防衛策のTバックとて Tのラインがきっちりでているではないか と いうことは だ 実はパンティを見られるのは 恥ずかしいことでは無いのではないか 第一 腰からはみ出たパンティや浮出たパンティラインを 見たところで興奮しないことが パンティ恥ずかしくない理論を実証しているのではないか では 何が恥ずかしいか ということが問題になってくるよね つまり 女のパンティは男のそれと比べて 実に小さく生地も薄い 本来性器を隠すべき下着が 女性のパンティは隠しきれてない 毛は透け 具はハミで 何か分泌物が付着している 全くパンティ本来の仕事をこなしきれてない パンティではあるのだが そのパンティのていたらくのおかげで 毛が透けて無いか 具ははみ出て無いか 分泌物は付着していないか その心配を女性は常日頃からしないといけない 故に 女性はパンティを見られるのを 嫌がる恥ずかしがるわけで 実にこの パンティというもの ショーツとかインナーとか言うんですか若者は 全く無価値で どころか女性に要らん気を遣わせよる 厄介で無生産で無意味な存在ではあるのだが だからといって 不必要ではない 男にとっては そのパンチラで 今日も1日頑張ろう 明日も生きてみよう と思えることもあるわけで そんなパンチラを金で買ったところで 興奮なんぞするわけもなく パンチラはハプニングであるからこその パンチラなのであるからして そのパンチラは プライスレス 村上はじめIT長者たちに言いたい 企業利益や収益が 人生に必要なのではない 人生に必要なのはそう言ったハプニング 収支を度外視した一瞬の清涼剤 パンチラで生きる決意をした事の無い人間には わからないのだろうね 白 白だったよ 昨日見た少女のパンティは 黒い下着がオシャレとして町にはびこり ピンクの女の子らしさが世にはびこる中で 彼女は 白 白だったんだよ まだ まだこの日本は捨てたもんじゃあない 高級車に乗って出勤する輩には 一生わからんだろうね 女性のパンチラこそが 日本経済の屋台骨であることを 私は現実主義者であるからこそ 彼らのやり方には反対であるし 現実主義者であるからこそ デキの悪いパンティにシンパシーを感じるのです。 生きていたって ただの 肉 だよ。
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