おひさまの日記
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2003年09月24日(水) 恐れを見つめる

昨日は中島先生のワークショップに顔を出してきた。
何度行っても自分の中から色々なものが湧き上がってくる。

ある男性のワークを見て、彼と共通する自分の姿を見た。
彼のワークが進む度に、私は涙が溢れてきて止まらなくなった。
私が遠くに置いてきたもうひとりの自分がすぐそばまで来ているのを感じた。

人がとても怖い自分。
何かを言う度、する度、父に怒鳴られてきた小さな私。
いつも自分が言ったりしたりすることへの、相手の反応が怖かった。
怒られるんじゃないか、嫌われるんじゃないか、と。
本当のことを言ったら、きっとみんな怒るんだ、
だから飲み込もう、その人が言ったことを、したことを、
聞かなかったことに、見なかったことにしよう、
イヤだということを言わないでいよう、
NOを言わないでいよう、
相手に合わせていよう、
そうやって相手の顔色ばかり伺っていた自分。
胃の辺りがイヤな感じで、苦しかった自分。
いつも否定されるのが怖かった自分。

久しぶりだね、もうひとりの私。

よく考えれば、今もどこかでそんなことを繰り返す私。
昔よりは勇気を出して色々と言えるようになったけど、
それでも、自分の言ったこと、したことへの相手の反応に怯える自分。

改めて、自分のルーツがはっきりと見えた。

でも、そんな自分でもいいなぁ…って思った。
そんな自分が見ている現実と、大人になって色々学んだ自分が見ている現実は違う。
小さいままの私が見ている現実は、恐れに基づいた自分の想念が作り出した幻想。
今はそれがわかるから。
大人になって成長した今の私が、小さいままの私を助けてあげたい。
彼女が私の中にいたままだっていい。
彼女をだっこして一緒に感情を感じて、ほらね、大丈夫、って教えてあげたい。
怖かったけど、もう大丈夫だよ、って。
繰り返し、繰り返し、抱きしめて、事実を伝えていくうちに、
きっと彼女も新しい現実を見始めるだろう。
今まで怯えていたものが、実は幻想だったと気付くだろう。
それまでは、一緒にもがこうと思った。
もう逃げないで、しっかり小さいままの自分を受け止めようと。

私の恐れは、もう、得体の知れないものではなくなっているのだ。
だから、怖いけど、怖くない。
暴れる感情にやみくもに飲み込まれ切ることも減った。
昔は、その怖さを知りたくなくて、
その怖さから感じる悲しみや辛さを感じたくなくて、とにかく逃げてきた。
逃げるから、それは永遠に追いかけてきた。
けれど、逃げないで正面から受け止めたら、
それは、私を傷つけようとするものではなく、
救われたいと願っているものだと知った。

今日も、ふたりの人に、とても伝えにくいことを伝えたの。
きちんとありのまま、状況のままコミュニケーションしたいと感じて。
怖かった。
今も怖いよ。
怒られるんじゃないか、嫌われるんじゃないか、って。
その傍らで、そんな自分を見ている自分がいる。
いつか、恐れも薄らいできたら、
人に伝えなくて済むことだって増えてくるだろう。
それまでは、不器用に、時には不必要なことまで人に伝え続けていくのだろうな。
「痛いよ」って、色々表現を変えて。

恐れる自分も応援してあげよう。
感じてあげよう。
ほら、怖くなかったでしょう?
そう伝えてあげるために。
私に。
私自身に。
彼女に新しい服を着せてあげられるのは私しかいないのだ。
私が私の味方になってあげるしかないのだ。

ビニールウォーマーにはならず、
現実の中で行動し、挑戦してみようと思うのだった。
人は、こんな葛藤が死ぬまで続くのだろうな。
だからこそ人間やってるんだろうな。


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