日記
毎日、無駄なことなんて無い。

2002年12月17日(火) 瞬。

瞬。またたき。一瞬で全てが変わっていく。そんな世界で。



これは一日あいて書きました。
あまりにショックで書けなくて。

死などに特に敏感な人は読まない方をオススメします。
























今日(12月17日)、いつものように塾へ行きました。

今日は数学の日で、朝日健太郎似の先生に教えてもらう日で。



修学旅行のお土産を塾の先生方に渡すために、少し早目に5時ごろ着きました。

現地集合の友達も着いて、

塾は6時からなので、それまでいつものように下の事務室で喋っていました。


とうとう6時が来て、

先生に「要さん、待ってるよ!(笑顔)」と先に上へ行かれ、


要「うわぁ…嫌やなぁ…今年最後の数学やん…」


友達「頑張れって!(^▽^)ノ”先生待っとるよ!」


要「いや、やけん行きたくなかったり…(ボソ)」


友達「ほら、またひねくれて!」


要「いやん。あたし先生のこと実は好きじゃないことないもの。(嘘)


友達「ほな行きなよ〜はよ!(早く)笑」



要「あ、あと10分…まったりしていかない?(汗)」


友達「もうあたし帰るよー( ̄д ̄)」


要「あたし今日めっちゃ心臓痛いんやって…もう今日命日かもしれん。

  死ぬんや…あたし死ぬんや…


友達「何で心臓…」






なんて喋っていました。


いざ6時もすぎて、教室へ上がった時、


下駄箱の上に 白と黒の張り紙 が。







「長い間英語を教えていただいたT先生が12月13日に急逝されました。」




































え…
























張り紙を見て、動けなくて、でも友達が下で別れてすぐやったので












下へ猛ダッシュで階段かけおりて

















要「…ねぇ!T先生が…!」












そのときチャリ片手に友達も友達にその話を聞いた直後だったらしく…











友達「今…話してた…」










T先生が、亡くなった。











その日は修学旅行に行っていたときで、

つい先週まで生き生きと仕事をしていたのに、


T先生は、いなくなった。





T先生は、もうおじいちゃん先生で、

でも、凄くハイレベルな英語を教えてくれてて、

この人についていけばどこでも受かるよ…な人やった。



一問分からないところを聞けば、20分はそれ関連のことを話す。


長いことで有名。

やから私達生徒は、どうしても、な時以外にはあまり聞かないようにしていた。

別の先生もいたので。








どうしてそんなこと、してしまっていたんやろう。







私は、最初「長い…」と思ってあまり近付かなかったんやけども、

最近は1時間の言い合いをするほどにまでなってきてて、

正直これから、やった。




ついこの間まで元気で、早歩きで、自転車で通勤してて、

単語を聞けばおやじギャグ、

訳を聞けばオーバーな演技で、


授業の日、遅くまで熱心に指導してくれてた。




今日新たに友達から聞いた件では、

その日も塾に来ようとして通勤していたときに倒れ、

そのまま救急車に運ばれたが、亡くなってしまったそうだ。




すごく、熱心やった。


検定前、英語の部屋で検定の勉強をしてもなんとなく許してくれていたし、

私達の学部は少し特殊で、

友達と「もうこんなん嫌や〜」って言ってたら

これまたオヤジギャグで良さを説明してくれたりもした。



塾の講師が生きがい、そうな、凄く良い先生やった。


最近、やっと気づきはじめてきたのに…









もっといろんなことが聞きたかった。

きっと付いていけば凄く力がついたし。


もっとちゃんと授業してれば良かった。




友達は、英語の点数が上がったから、今日言おうと思ってたって言ってた。

昨日たくさん泣いたらしい。

その友達も私と同じくその先生を「長いよね…けど」な感じやった。


友達はもう少し早く先生から聞かされてたらしいけど…




教室で先生と、生徒もう1人と、私だけで。




それぞれ個々に違うことしてたから、





教室の隅で、少しだけ、涙目になった。






最近の私は、泣けなくて。全てに無感情に近い感じで。


涙だって出そうと思っても出なかった。



そこで泣いたらいろんな人に迷惑かけるっていうのと

見られるのも情けないかな、っていうのもあったけれど。



涙は少ししか出なかったけれど、

数学の部屋に帰ってきて…

ボーゼンとして。ほんまに一時動けなかった。



数学もやっぱり手につかなくて、

上に書いたようなことずーっと頭の中リフレインしてた。




それでも少ししたらあくびは出るし、涙も出るけど、押さえられる程度で。

鼻すすってたからバレてたかもしれんけど、とにかく悲しくて



でも数学の朝日健太郎似の先生は、

「そういうことも…あるんやで」くらいで済ましてた。

多分先生が生徒に感情出してどうこう言えないのもあるんやろうけど、




それもまた、悲しくて。




「俺も聞いたん全部終わってからやけど」って言ってたけど、

ついこの間まで元気にハキハキしてた人が、

いなくなった。もう会えない。もう何も聞けない。



それがTおじいちゃん先生やなくても、悲しいと思う。

ましてやもっと仲の良い先生とか友達や家族やったら…




無理に元気だそうとしてくれたんかしてくれてなかったんかよぉわからんけど、

「そういうこともある」って言いながら、

なんか、もちろん慰めてはくれんけど、気ちょっとは使ってくれた…んかな?

まぁそんなことはどうでもえぇとして。




あくびも出る。眠い、とも思う。


無感情で充実感も特にない日々を送っている

こんな未来に希望もあんまし持ってないこんなあたしが、

そんなあたしがここでのうのうと生きているのに、




もっと人の役にたてて、これからももっと人の役に立てて、

生きがいを持ってて、充実してる毎日を送っている人が、



なんではよ死んでしまうんやろう。







いつも身近な人がいなくなると思う。



どうしてもちょっとだけでも一緒に生きてはくれんのやろう。



なんでもっと悪いことしてる人が生きてるのに、

なんでもっと良いことできる人が先におらんようになるんやろう。




なんで大人んなったらそういうんも「仕方ない」で済ませられるんやろう。




あたしはこれから生きていくのに、

こんなことで立ち止まったり考えたりしよったらいかんのかな?

キリがないよって言われるんがオチなんかな?



そりゃT先生は特別な関わりは何もないです。

特別仲良かったわけでもないし。

でも悲しい。




それでも無感情なあたしには、悲しい自分作ってしまってるんかもしれん。




逆にそうも思う、こんなやつがこの世界で生きてるのに、

なんでもっと良い人が生きられんのやろう。







うちは思った。


今に満足は完全にはせんでえぇけど、せめて感謝をしようか。


ここに生きてること自体が、ほんまはすっごいことなんかもしれん。



いや、すっごいことやと思う。

だってめっちゃ内臓とか動いてるやん、正常に。

足とか手とか脳あるやん。しわの数は知らんけど。



生きてる人間が何かをして有名になったり、一躍ヒーローになったりするけど、

まずは生きてること自体、みんなヒーローなんかもしれん。


すごいなー…うちら。


すごいなー…うちら。





満足しない、しないって悲鳴を上げてても、

今ここに在ることを感謝することから始めないかんかもしれん。





逝ってしまった人の分まで?今までそうははっきり「うん」とは言えんかった。

でも今は、ちょっとは「うん」て言えるかもしれん。


うちもうちょっと出会う人出会う人に感謝しよう。



あと後悔したんは、「心臓痛いー…死ぬー…」てあの場で言ってしまったこと。

もちろん塾の講師軍の方はお葬式に行かれたわけで、

もちろん生徒も来てる人は知ってたわけで、


「死ぬー…」言うて馬鹿笑いしてたうちが一番阿呆や。



普段からそういうことはわきまえるようには自分でしてて、

「死ね」とかは絶対使わんし、「は?」ってのも侮辱したみたいで好かん。

「キモイ」ってのもなんか嫌やし…



それはHPならABOUT書いてきた当初からずっと在る。



でもほんまにそういう言葉ってそんな軽々しく使えんもんなんやな。


そう、改めて思った。





もちろんお墓参りにも行けないと思われる一生徒やけど、

ご冥福をお祈りします。








もし天国で祖父に会ったら、一杯酒でも飲み交わしてください。

頑固な所で惹かれあうかもしれません。





ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

明日からは、またエンジン全開で。


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