| 2002年04月26日(金) |
★周防大島から松山へ★ |
帰りは、ペンションのご主人の助言で柳井港までいって松山行きのフェリーに乗ることにした。 本州までいってまた四国?という感じだが、高速バスチケット関係でしかたない。 宮崎さんをお訪ねしたり、友人のTさんと会ったりできるしまそれはそれで、ヨシ。
昨日に引き続き、今日も瀬戸内とは思えぬ風の強い日。冬型のせいだろう、今朝は、朝日がきれいだった。
8時35分大畠行き、そこから9時発の電車、一駅で柳井港だ。茂兵衛さんは、好きな人をお嫁にもらえず、ここの遊郭まで遊びに来ていたんだわ・・・。 9時45分のフェリー、島巡り オレンジラインというパンフレットがあって島の名前が書いてあった。 一枚もらって、島影を楽しみながら2時間25分を過ごすことにした。 ゆるゆると時速50キロほどで進む船旅、大好き。高速船、新幹線、はやいけど、きらい。何でも視界から飛ぶように消えていくのでつまらない。 ノルウエーの沿岸急行船、中国の長江下りの旅を思い出す。 なぜか、心地よい揺れで眠くなってしまうんだわ。この辺もよく似ている。そんなわけで、のって30分ばかりは前後不覚のお休みタイム。 私だけではなくて、乗客のほとんどの人が寝ていた。
島影が次から次ぎ、あらわれては消えていく。 おだやかげに見えるが、海面を見ると、潮の流れがよく見える。島と島の間がせまいほどそれはきつい。ほとんど川の流れのよう。いつだったか、下関でもかんじたことだが、潮をよまないと生き残れない。 瀬戸って、狭い海峡の意味らしいけど、そう考えると「瀬戸内海」って名前の通りだと思う。 周防大島と情島の間がとにかく難所という感じだった。 「情(なさけ)島」なんて、いい響き。
わたしが島影を追って船内をウロウロしていたら、「そんな紙で島の名前がわかるんですか」とおばあちゃん的年齢の人が話かけてきた。 わかりますよ。答えたら、ばあちゃん、いろいろと話しかけてこられるが、なんかかみ合わない。ばあちゃん、自分のことだけいうんだもん。アンサーがないんだわ。 こういう人のお嫁さん、大変だろうな。 大洲まで行くそうだ。 私は横浜から来た、といっているのに砥部まではどのくらい時間がかかるか、どうやっていくのか、聞くのには参った。 私は、知っているよ。バスが市駅か出ていて、多分、4,50分は乗るだろうということは・・・でも、砥部とかいってもふつう横浜から来たら、しらんぜ。 松山市民だったら知っておろうが・・・がさ。
それにしても、瀬戸内島巡りの旅も面白いだろうな・・と思った。
バスで市駅に出る時にTさんから電話がはいって、メモを取ったらそのメモ帳を落とした、バスの中に。ヒエーだ。 伊予鉄の人は親切に対応してくれたが、2時40分まではわからないという。
しかたないので、かまわず、宮崎さん宅にうかがう。 いつも、アポも入れずに突如だが、在宅の所に行く私。今度も大丈夫だろう、と奥様の仏前にお花とお供えのお菓子を用意して。 ピンポン。ハイ、大あたり。 「わし、いまちょうど区切りがついて郵便局に行こうか、おもていたとこや」 顔をのぞかせられた宮崎さんはそういわれた。 昨年末より、また少しお元気になられた感じはするが、おやせになったままだ。 仏前でお参りをしてじきに1周忌ですね、などと話して、お遍路の途中に土佐でお会いした田淵さんが宮崎センセによろしくと、いわれていました、とお伝えする。よかった、これで、伝言鳩の役目をはたしたぞ。 次のガイドブックを原稿を少しのぞかせていただく。 カラー刷り、今までとずいぶんちがったモノになるようだ。 めずらしい太龍寺の英語Tシャツをいただいてしまった。 ついでに手帳も出てきた、と携帯に電話があった。 何と忙しい宮崎さんが取りにいって送って下さることになってしまった。すみません。 市駅のそばにある「日切じぞうさん」にお願いしたんだけど、かなったわ。お礼してから帰らなくちゃ。
4時、Tさんと松山市役所前で会った。 一緒に松山城へ。 登ったことがない、といったら、こんなに何度も来ているのに?とびっくりされてしまって、ジャ行きましょうとなったのだ。 20分ばかりの登り。新緑が気持ちいい。 登り切ると松山市内や、瀬戸内海が一望できてなかなかだった。 さかりの藤の花の下で、彼女が出している同人誌の話などをした。 もともと、私の本を読んでくださったTさんがお手紙を下さったことから始まったおつきあいだが、今や松山に来ると必ず連絡を取る友人となった。 これも、お遍路をしたご縁だわ。ありがたや、だ。 5時過ぎ、市内のイタメシヤサンで一緒に夕食をとって、19時10分のバス乗車。見送っていただいた。 今回は、今治のKさん、北条の杖大師さんにはうかがえかったが、次回はまた、と思う。
ビールのおかげで爆睡。
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