| 2002年05月01日(水) |
映画で旅するモスレム6 「少年と砂漠のカフェ」 |
昨夜sakurannkoさんと遅くまで電話で話していたワリには、早起きで、手紙の処理。11時に家を出て川崎の親戚に、おみやげを届けて打ち合わせへ。
6時半、有楽町の映画館「シネラセット」(昔の有楽シネマよね)前に集合。 整理券が配られる盛況ぶりだ。 やはり水曜女性デーのせいか女の人が多い。 sakurannkoさんと「眠いよね」などといいながら最後まで眠らなかった。眠れなかった、というべきか。
母を爆撃でなくし、父はタリバンと闘っているという少年キャインは、国境の道路沿いのイランのカフェで働いている。カフェといっても、銀座や渋谷にあるモノを想像していただいては困る・・シャイもヤク(アフガニスタン製だと思う、今や大麻樹脂の世界最大の生産国はアフガニスタン)も水タバコもある、アヤシク田舎びたほこりっいたてもののなのだ。 水くみをし、たき付けを取り、車や機械が故障するたびに腕の悪い技師のところに走り・・・実によく働く少年なのだ。 ある日、彼の耳を診察してくれた医師が訊く。 「帰らないのか」「帰らない・・ネエさんはおばさんと暮らしている・・戦争だ・・」 目が悲しそうにしょぼつく。 警官が密入国者はいないか、としょっちゅう来るがみんな彼をかくまう。 ところがある日、ばれてしまった。彼は留置所に入れられる。 そこに来たのはカフェのオババさん。片足がない・・多分地雷か何かだろう。 「うちの子を返せ」と迫る。 その迫力に負けたのか彼は帰される。キャインにいつもの日常が戻る・・・しかしそんな中にあって、アフガンから危険を冒して働きに来た男達がまた鉄条網の向こうに金をにぎって帰る・・そのとたんに射殺・・といった毎日・・これもまた日常、だ。 新しい国道ができて、オジジとオババさんのカフェの前を車が通らなくなってオジジは新しい国道にまく鉄釘を造りに行く。つまりタイヤをパンクさせて車の流れを自分の家の前に戻そうというわけ・・・しかし、彼はその釘をまく前に亡くなった。キャインは、それを新しい国道にまき散らして(オジジの遺志だ)、荷を背負って悲しそうな表情で去る・・・。
これは半フィクション、といっていい。キャインは本当にアフガンから来た難民だ。彼のように母を亡くし父に会えない子もアフガニスタンには多いはずだ。 赤茶けた乾いた大地、ごつごつした岩山。それは去年訪ねたルクソールの王家の谷を思い出させる。そして、映画流れる時間はまさに私はトルコの田舎やエジプトの地方で感じたモスレムの時間だ。なつかしかった。
言葉の少ない映画だ。 淡々とシーンが流れる。 国境で人が死ぬシーンも声と拳銃の音だけ。ただ、棒に死んだ男達の遺品をつけた墓標が増えていくのを写すのみ。その向こうで、生き残った男達が亡くなった仲間の金を分けてあわただしく去っていく。 オジジが鉄釘を造りに行くシーンも説明も台詞もない。 死んで運ばれて行くところも・・・キャインもただ手伝って見送り手を合わせてうつむくだけ。
このところ見続けたモスレム映画NO1.
すごい映画だと思う。 悲しい映画だと思う。 観音さんにやっぱり世界平和をきっちりお願いせねば。 だって、戦争では、子どもと女がいつも一番つらい。 平和を希求しながら、人間って、やっぱり闘う存在なのか?
終わってから「オヤジの領分」的居酒屋で飲んで帰ってきた。 吉野川を常温で。空豆、めざし(飛び魚のチビイヤツ)、焼き鳥の塩、ホタルイカ、ししとう、の肴。 吉野川って、新潟じゃそう評価されない酒だけど、東京ではうまい方にはいっちまうらしい。常温、うまかった。
今度は「A」に行くことにした。 レイトショウだぜ。おばさん不良お二人様出来上がり。
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