世界お遍路 千夜一夜旅日記

2002年06月15日(土) 明日は父の日 そして天川弁財天社

やや、二日酔いです。
頭が痛い・・・しかし、明日は父の日だし、なんか見繕って送らないと・・・母の日プレゼントをしているので父の日にしないわけには・・・・
ということで、街へ。

よそ行きにもなる明るいクリーム色の半袖シャツを送った。
宅急便の紙を書きながら、あと何回母の日や父の日のプレゼントができるんだろう・・などとふっと考えてしまった。
去年は郷里に帰った、たしか。あんまり具合が良くなかったので・・・。今年も決していいとはいえないようだが。

あとは家で静かに読書。
足と靴の本、藤沢周平の時代小説。
ドイツでは、歩き方と靴の選び方を子どもの時から親がしっかり教えるという話にうーんと思った。正しい、ね。

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ここ数日、時々思い出すのは、なぜか天川弁財天社。
あの奥吉野のゆかしい神社のことだ。
ミッチー先生の掲示板に天川の奥宮である弥山のことを書き込んでから、なんか妙に気になる。

初めて天川に行ったのも今頃だったような。
確か、友人と仕事を一日休んでいったんだった。
夜になると闇の中に社がしんと静まり返って、本殿のパワースポットにはなぜかでも、夜になると人がやってきた。
あの時、社殿のパワースポットで蓮華座を組んで瞑想する男性の後ろに白い炎のようなモノが見えた。
身体を囲んで立ち上るような白い炎が確かに見えて、動く。
目がおかしくなったか、と何度もこすった。
友人に見えない?と聞いても見えないというし、でももしかしてあれってオーラってヤツ、と思った。
私のチョー不思議体験。
あれ以来、仏像の光背は、仏のオーラなんだ、仏師はそれが見えたんじゃないか、と思うようになった。
私の場合、見えたのはあれ一回きり。
多分私の身体や心が自然に対して開かれたベストの状態で、あの天川の龍穴、吉野の「力のポイント」で私の潜在能力もアップされた結果なんだと勝手に考えている。
目の錯覚だったにしてはあまりに鮮明だったし、私も正気でありすぎた。

あの年は、8月に勘九郎が洞川の竜泉寺(天川の隣村)で、奉納舞いをするというので見に行っている。あの時も、舞が始まる前に主催者が「龍神さまが喜んでおられます」といったすぐあとから、大峰の方から薄霧がやってきて、小雨がちらんと降った。
晴れた日だったのにあれは「龍神」の喜び表明か、だった。すごく不思議だった。それはあの場にいた人みんなが懐いた感想だった。

あのときに弥山も登ったのだった。
山頂の「国見が原」で、日の出を待つ時間、何かはしらんが「大いなるモノはおられる」みたいなひらめきが突如来て、びっくりした。
あの後、2回天川にいった。
宮司さんの借金問題で神社が売られるとか何とかいう問題でもめていた時期もあったようだが、今はどうなっているのかな。
気になるというのは、来いってこと?
そういえば、このところ奈良に行っていない、あんなに好きで通っていたのに。
西国歩きで、半日遊んだが・・奥吉野や吉野に入っていないなあ。
私は奈良まん中より周辺部が好きだ。
奈良の偉大な田舎ぶりがわかるのは「周辺」なんだわ。




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