| 2009年06月08日(月) |
寿命がある、ということ |
昨日は、日曜日、いろいろな方がお参りに見えてくださってにぎやかだったらしい。 私は自分のうちでそうじをして、夕方になって実家に戻ったのだが。 で、そのうちの一人に、母と同年で、もう多分五十年来の友人の方が見えたとか。昔結核で片肺がないといういうこの方、実は、5月はじめから半ば、弟と同じ病院の下の階で、あと一週間くらいが山、いつ亡くなってもいい状態で入院されていたんだとか。 看護師が交代でつき、身内もつき・・・でも見事生還。 母いわく、顔がつやつやして元気そうになっていた、と。 一言、寿命があったんだねえ。 担当医に5月末くらいまで入院していたら退院できるとかイージーな見とおしを聞かされていた弟は、その言葉をうのみにして、だれかれにそう言っていたらしいが、亡くなって戻った。 母に言った。 神様が、寿命あると、尽きるとはこういう違いなんだと教えてくださっているんだね。 それでも、昨夜は母と義妹にビワ温灸をしたのだが、母がうめくようにいった。 「イサオ、なんで死んだや・・なんでだや」 義妹の心の内だっておんなじだろう。 この「地獄」はいつまで続くのだろうか。
関係ないようだが、せめてもの救いは日脚が伸びていることだ。 これが9月とか10月の日がドンドン短くなるときだと、自殺でもしたくなっただろう。 生きる、、死ぬ・・頭ではそれなりにわかっていたことを今体に染み込ませるというか、もう一度深く身体的に考える。 こういうことが必要なんだろう。
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