Didoです 今夜は金八先生の日でしかも2時間スペシャル
ようやく直の『性同一性障害』について表立ってふれられた 内輪話だけれど金八先生の読んでいた本、Didoも読んだ 前にも図書館で何度か借りて読んだことがあったしつい最近も借りて読んだ
『性同一性障害』 どれだけの本を読んでみても、どれだけの話を聞いてみても 自分が理解したつもりになっていてもそれはあくまで仮定でしかない 本当の気持ちになる事はできない だってDidoにはその人自身になることはできないから 自分が今現在もし体が男だとしたら…と考えてみたところで所詮それは仮定でしかない だって自分じゃないから どんなキレイごとを並べても所詮それは偽りの、本当の感情ではない 声を低くする為に声帯を傷付けたりするということはDidoには到底分かりうる事ではない なぜ男でないといけないのか なせ女でないといけないのか なぜセックスとジェンダーが一致していなければいけないのか いつになってもどんなことがあってもそれを納得する理由がどこにも見出せないだろう
TSの人と実際に会い面と向かって話を聞いてみたい 決して興味本位ではなくどうすれば人が人として生きていけるのか そのこたえを見出す為に…
“理解する”ということ その気持ち分かる…とよく言うが本当にその気持ちを理解するのは自分が実際にその立場にならなければいけない 道徳的、常識的に考えて出た“理解”など本当の理解ではない 本当に理解するとは一体どういう事だろうか? そのことについて、その人に対して全てを受け入れること 等身大のその人を表面的にではなく内面的に受け入れられることではないか
今夜は日記と言うよりもエッセイのメモ書きのようになってしまった いつかDidoにもできるだろうか? 本当の意味での“理解する”ということが…
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