Journal
INDEXbacknext


2002年12月15日(日) パワーハラスメントの記事から。

●この間、朝日の朝刊でパワーハラスメントの記事を読み、ちょっと考え込んだ。
 パワーハラスメントっていうのは、記事によると、「実際の職務とは関係ない、または適正な範囲を超えて、上司が部下に嫌がらせの物言いなどを繰り返し行う状態」のことらしい。
 で、その相談所にかかってくる電話には、出来の悪い、あるいは間違った上司に本当に苦しめられている人やら、上司の正当な職務上の要求を嫌がらせと思い込む人やら、そりゃあ様々なものがあるらしい。

 わたしに言わせれば、許容量の少ない上司か許容量の少ない部下がいれば(もっと簡単に言えば、バカな大人とバカな若者)、そんなことは何処にでも見受けられることだ。
 それに。生涯をひとつの会社に捧げるのが当たり前だった時代はもう終わった。世代の違いから職業に対する考え方の違いが顕れて当然だから、上司と部下の思いが食い違うのは、これまた当たり前。自分にとって当たり前のことが他人にとっても当たり前だと思い込んだ途端、人間関係の悲劇は生まれるものなのだ。

●ちなみに、わたしはそういうバカな大人ではない。それでも、この記事を読んで、考え込んでしまったのだ。
 わたしも職場でたくさんの若い子と一緒に仕事しているのだが、どうも、あれやこれやの指示を出したときの反応がビビッドじゃない時が多い。
 現場に入れば1ヶ月に2日休めればましな方という厳しい場所にいながらも、自宅での作業を余儀なくされるような、大変な仕事だ。敢えてそんな場所を選んでいる彼ら彼女らに、わたしは更にいろんな要求をする。いや、要求というより、現在をよりよく過ごすための、未来をより開いていくための、アドバイスだ。でも、これがなかなか、届いているのやらいないのやら、反応がはっきりしない。

 もしかして、ただでさえ辛い彼らは、わたしの言うことが無理難題の押しつけに思えているのかしら? と、ちょっと疑問を持ってしまったわけだ。

●そうは思いつつも、大変な仕事を抱えている今、常よりもっと若い子たちに仕事を理解してもらう、また教えていく必要に迫られているわたし。
 伝える、ということを、もう少し丁寧にやってみようと、直属の女の子二人を呼んで、じっくり時間をかけて、仕事をするということの基本、本質、現在の問題点を話してみた。その中には、もちろん、叱責も混じった。苛酷な要求もあった。
……実にビビッドな反応が返ってきた。そして、翌日の彼女たちは、それまでの彼女たちと確かに変わっていた。

 伝えるということの難しさ。要する愛情とエネルギー量。受け取る側に必要な、前向きさ。ひたむきさ。……そんなことを久々に実感した。
 伝えたり教えたりということが、職業的な日常になっているわたしにとって、忘れてはいけないことを色々と考えることになった。

 自分自身が常にひたむきであること。教えること伝えることを自分が軽やかに実践していること。
 何を伝えるにも、想像力と心を尽くすこと。


MailHomePageBook ReviewEtceteraAnother Ultramarine