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2003年01月29日(水) ソーネチカのようであれたら。

●休日、2冊の本を読了したが、穏やかな、ゆるゆるした感動を押しつけられて、読んでいる時こそその気になってちょっとぐっときたりするのだが、本を閉じた途端、「けっ」と投げてしまうつまらなさがある。
 夜、ベッドに、新潮クレストの新刊、リュドミラ・ウリツカヤの「ソーネチカ」を持って入る。ボリュームの半分を読む。

●ソーネチカは、読書することにおいて、類い希な才能を持っている。物語を読んでいる限り、誰よりもその物語世界と上手に和合することができる。彼女はどんな苦境にあっても、その読書の才能から得た世界との対峙の仕方を崩さない。つまりは揺るがない。現実と虚構を行ったり来たりする才能を持った者には、現実など、「半分」でしかあり得ない。
 ソーネチカは、人生を捧げる夫に「ドストエフスキーなんてつまらない」と言われても、揺るがない。ドストエフスキーを読むことの喜びを知っている彼女は、ただ、こう思う。「もう彼とはドストエフスキーの話をしなければよいのだ」と。

●わたしには、そんな強さがない。だから、揺らぎに揺らいだ1日の後で、仕事の後で、またお酒を飲んで、引き戻し作業をする。
 わたしは、「ドストエフスキーなどつまらない」と言われたら、いかにドストエフスキーが面白いかを語らずにはいられない人間でしかないから。その程度の自我なので、毎日苦しむ。
 ああ、ソーネチカのようになれたら、と、自分を憐れみながら。


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